
〔音頭〕ままよ大豆島(ソレ)蚕の本場
〔つけ〕ソレ娘やりたいノ(ソレ)チョイト桑摘みに
〔音頭〕やりたい(ソレ)やりたい娘
〔つけ〕ソレ娘やりたいノ(ソレ)チョイト桑摘みに
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しばらく目を奪われるほど、見事な夕焼けだった。西空が一面、鮮やかな朱色に染まる。さる7月末の土曜日、広々と開けた大豆島地区でのことだ。
いくらか涼しくなりかけた夕暮れ、ぼんぼりに灯のともった公園で太鼓が響きはじめた。その音に合わせ、踊りの列が動き出す。この時季恒例の「大豆島甚句まつり」である。

そろいの浴衣や法被姿もりりしく、誇らしげに各地区、団体の踊り連が、四方八方から繰り出してくる。広場の中央近く、太鼓と笛のにぎやかなやぐらに向け、色とりどりの踊りの輪が広がり、交錯し合う。
1980(昭和55)年6月、大豆島甚句が長野市無形文化財に指定されたのを皮切りに、回を重ねてきた。今年で36回を数える。
「年を追って参加する連が増え、踊りながら互いにすれ違っては笑顔が行き交う。このおおらかさ、楽しさ、親しみやすさが何よりの魅力だね」
大豆島甚句保存会の町田良夫会長が語る通り、佳境に入るにつれ老いも若きも、すっかり踊りの輪にとけ込んでいる。小学生をはじめ子どもたちが張り切るのも、地元の学校の行事に取り入れられたりしているからだろう。
もともとは善光寺平一帯で広く歌われた仕事唄の流れをくむとされる。厳しくつらい労働を慰める田植え唄や草取り唄、草刈り唄などと共通している。
〈ままよ大豆島 蚕の本場〉と歌い出すところを見れば、大豆島甚句の場合、養蚕が基軸をなしていることがすぐ理解できる。とりわけ夏から秋、長く伸びた枝を刈り取る桑摘みは、全身に重労働がのしかかる。
大変であればこそ歌と踊りで乗り越え、さらなる活力に育て上げてきた。さかのぼれば300年ほど前、江戸時代半ばに発祥が求められるらしい。かつては野良着の裾をはしょり、手ぬぐいで頬かぶりし、みのがさをつけて踊ったといわれる。
〔音頭〕主は犀川(ソレ)わしゃ千曲川
〔つけ〕ソレ共に逢いましょうノ(ソレ)チョイト大豆島で
〔音頭〕逢いましょう(ソレ)逢いましょう共に
〔つけ〕ソレ共に逢いましょうノ(ソレ)チョイト大豆島で

いろんな歌詞で歌われる中で、時にはこんなつやっぽい場面も登場する。犀川、千曲川2つの大河が落ち合う辺りが大豆島の平野だ。地味の肥えたところで知られる。
時は移りつつ変わらぬ自然と人情。大豆島甚句は、その豊かさへの賛歌とも聞こえた。
〔甚句〕日本民謡の一種。7・7・7・5の4句からなり、盆踊り、宴席などで歌われる。農民の仕事に伴うものをはじめ種類は多い。地域的な特色も濃く、米山甚句、佐渡甚句などが名高い。
(2015年8月22日号掲載)
=写真1=浴衣姿で踊りの輪
=写真2=太鼓が響くやぐら