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12 南米・北欧へ ~盛り上がり追加公演 皇族も臨席される~

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 1965(昭和40)年、宝生流は初めて海外公演を米国で催しました。それから外務省国際交流基金をはじめ多くの団体の後援により、能楽を通して世界の国々と文化交流の輪を広げてきました。

 私は74年のインド、その後のタイに続いて78年6月、ブラジル移民70周年記念行事の一環であるブラジル、アルゼンチン、米国3カ国訪問に参加しました。訪問団はシテ、ワキ、囃子(はやし)、地謡(じうたい)など総勢約25人。一行を乗せた航空機は羽田を飛び立ち給油のためアラスカのアンカレジに着陸しましたが、午前3時すぎというのに空港ビルの外が白々と明るく、白夜というものを初めて経験しました。

舞台に見入る姿
 空港を離陸後まもなくして、「窓から氷河やマッキンリー(6194メートル)の山が見えます」との客室乗務員のアナウンスが機内に流れ、眠いのも忘れて、朝日にまばゆいばかりに輝くアラスカの大地に見とれました。ニューヨークのケネディ空港で2度目の給油をしてブラジルのサンパウロへ。まさに地球の裏側まで2万キロの長旅でした。

 サンパウロは日本の10月下旬ごろの気候で、1年で最も過ごしやすい季節でした。南米初の公演でしたが、サンパウロ市内に急ごしらえにもかかわらず立派な能舞台ができ、「経政(つねまさ)」と「羽衣」の能2番を披露しました。

 私は交代でシテを演じ、地謡を謡いました。もちろん全て日本語のままでした。会場は日系人の方々が多かったようですが、固唾(かたず)をのんで舞台に見入る姿とマナーの良さが今でも印象に残っています。

 アルゼンチンのブエノスアイレスでは、日系人の姿はあまり見掛けませんでした。そのため会場となったブエノス公園に、現地の人がどれだけ見に来てくれるか少し心配でした。しかし、地元の新聞やテレビが宣伝してくれたおかげで追加公演を行うほど盛り上がり、南米公演は2カ国とも大成功のうちに終えることができました。

 ロサンゼルスとハワイのホノルルを経由し、約20日ぶりに帰国しましたが、途中ロサンゼルス郊外のアナハイムにあるディズニーランドに寄りました。千葉の浦安など世界に5カ所あるディズニーランドの第1号で、途方もなく広い駐車場に圧倒されたことを37年たった今でも思い出します。

 3首都で披露
 85年には5月から6月にかけて「宝生流北欧公演能楽団」の一員としてフィンランド、デンマーク、スウェーデンへ行きました。代表の本間英孝能楽師はじめ総勢二十数人でしたね。その中には狂言師の野村万作氏の姿もありました。

 3カ国それぞれの首都で披露した演目は、能「葵上(あおいのうえ)」「羽衣」と狂言「棒縛(ぼうしばり)」「雷」の各2番でした。本間英孝、今井泰男、三川淳雄の能楽師3人がシテ、私は「船弁慶」の舞囃子(まいばやし)を舞い、地謡を担当しました。

 特にスウェーデンの首都ストックホルムでは、会場となったドラマテン王立劇場に同国の国王、王妃と同国を公式訪問中の皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)が臨席されました。当時北欧各国は日本ブームに沸いており、両国皇族の臨席と日本伝統芸能の公演ということで王立劇場は大盛況でした。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年8月22日号掲載)

=写真=スウェーデン国王・王妃と日本の皇太子ご夫妻が臨席された公演(ストックホルムの王立劇場)

 
中村孝太郎さん