
私の自宅は1990(平成2)年の初めまで千葉県八千代市の八千代台北にありました。京成本線の八千代台駅に近くて便利でしたが、高いビルや居酒屋、焼き鳥、パチンコなどの店ができ、日当たりが悪く静かでなくなりました。このため家族で相談。引っ越すことにし物件を探した結果、近くの八千代台南に気に入った場所が見つかりました。
当時「淑宝会」の会員だった西村文明弁護士に相談したところ「私に任せてください。良い家を造りましょう」と、力強い言葉をいただきました。地元の服部工務店を紹介され、法的手続きはもとより、工事の打ち合わせから木材選びまで立ち会ってくれました。
本物のような重厚感
工務店経営者の服部重俊さんは宮大工でしたが、私が「新築の2階に能の稽古場の敷舞台を造りたい」と言うと、一瞬驚かれた様子でした。しかし、すぐに敷舞台のある東京の先輩能楽師の自宅を2カ所見て回られ「いい舞台を造りますよ」と約束してくれました。
ヒノキ材を張る三間(約6メートル)四方の板の間、正面奥の大きな鏡板、中央が両端より高い船底天井―。特殊な敷舞台を造るには普通の部屋の作業より何倍も手間暇がかかります。それを承知の上で引き受けた服部さんが頼もしかったですね。
新築の建物は木造2階建て。住居部分は1階に義母の部屋、それに長女と次女のために二つの子ども部屋を造ることを優先しました。90年3月に着工し、工期の遅れもなく予定通り7月に完成。2階に見事な敷舞台ができました。
自宅に敷舞台を持つことは能楽師である私の生涯の夢でした。中学を卒業して長野を離れ、神奈川・武蔵小杉の叔父の社宅に下宿、東京・目黒のアパート、神奈川・座間の小さな中古住宅、そして千葉の妻の実家。ヤドカリのように住まいを変えて、ついに「敷舞台付きの新築の家」を持つ夢がかなったのです。
それから2年たって、日本画の依田鏡子さんに敷舞台の鏡板に老松の絵を描いていただくようお願いしました。能や歌舞伎の舞台で大きな松の木を描いた羽目板を見られた方も多いと思います。あれは松羽目といって舞台に欠かせないものです。
依田さんの力作のおかげで能楽堂に引けをとらないほどの立派な松羽目が自宅の敷舞台に完成しました。ライトに当たると本物の松の木のように浮かび上がり、重厚感があって...。感動しましたね。
文化財保持者に認定
うれしくて数日は板張りの舞台の上に布団を持ち込み寝起きしました。朝起きてすぐ舞台で舞ったり謡ったり。出稽古に出掛けても帰宅するのが待ち遠しいほどでした。お弟子さんたちの稽古は外での出稽古が中心でしたが、月に2度ほど自宅に来ていただき、できたばかりの敷舞台で仕舞と謡の稽古をしました。
92年、私は宝生流シテ方として重要無形文化財総合指定保持者の一人に加わりました。能楽は人形浄瑠璃などとともに文部科学大臣から重要無形文化財に指定されています。総合指定はこれらの古典芸能に長年携わる人に対して与えられる制度です。能楽師を30年ほど務めた私が総合指定保持者に認定されたわけですが、身の引き締まる思いでした。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年9月5日号掲載)
=写真=敷舞台に松を描く依田鏡子さん