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15 高山村で薪能 ~淑宝会員の遺志実現 芝生席に観客3千人~

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 1996(平成8)年は高山村の発足40周年の年で、その記念事業の一環として8月30日に「土蜘(つちぐも)」の薪能が開かれました。私は僧と土蜘の精の二つのシテ(主役)を演じました。

 この話は前にも少し触れましたが、高山村での薪能開催を私に提案し、半ばで他界された荒井原の松本勲さんの遺志を、小林正信さんが引き継いで実現したものです。お二人とも私が主宰する能の同門会「淑宝会」の熱心な会員でした。

 会場に森林スポーツ公園「YOU游ランド」が決まり、日時や出演者の選定、舞台の設営など本格的な準備に取り掛かりました。資金は、観劇料を無料にして村役場の援助と村民の皆さんに寄付をお願いすることにしました。

仲間も納得の会場
 当日は大型サロンカー1台をチャーターし、東京から宝生流の宝生英照(ふさてる)家元(先代)をはじめ約20人の出演者全員が乗車。舞台で使う装束や面、クモの巣、サカキなどの作り物や小道具を積んで、高山村まで移動しました。

 サロンカーが須坂を通り村道を上り始めると、道幅が徐々に細くなり森が深くなっていきます。高山村は初めてという仲間は「こんな森の中で能ができるのか」と思案顔だったそうです。ところが会場に着くと、急に目の前に広々とした空間と立派な施設が現れ、皆そろって納得した様子でした。芝生の広場は緩やかに傾斜していて観客席にうってつけでした。

 薪能で気になるのが天候ですが、8月30日は朝方少し降っていた雨も夕方にはやんでホッとしました。また、火の粉については以前、千葉の八千代台で催した薪能の時と同じように、舞台近くの観客席にワラのござを用意し、飛んできたらござでよけてもらうよう工夫しました。

 薪能では演じる側にも苦労があります。暗くて前があまり見えないことと、風向きによっては煙を吸い込んでしまうことです。風で装束が乱れることもあります。

 公演は1日限りで、能を2番披露しました。まだ明るいうちに宝生英照家元がシテを務めて「羽衣」、日が落ちて薪に火がともされ、私のシテで薪能の「土蜘」を演じました。

松代の同級生たちも
 この日は風が少し吹いていました。この「土蜘」には大江山の酒呑童子退治の武勇伝で知られる源頼光がツレ(わき役)で登場します。クモが巣に見立てた白い糸を手から一斉に頼光たちに投げかけるところが見ものです。クモの精に扮した私は、長さ4メートルほどの白い糸が風に流されずにうまく広がるよう気を使いました。

 芝生席は約3千人の観客で埋まりました。その中には寺尾小学校の担任の宮本志なの先生や小中学校の同級生の懐かしい姿もあり、うれしかったですね。

 出演者一行は舞台後の懇親会を割愛し、午後9時すぎに会場からサロンカーに乗車して東京へ。まさに日帰りの強行軍でした。

 私は残務整理のため高山村に残り、後日この公演の発案者である松本さんの自宅を訪問。ご自宅には能の稽古場があり、奥さまに会ってご仏前に感謝の報告をしました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年9月12日号掲載)

=写真=高山村で行った薪能

 
中村孝太郎さん