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16 長野県淑宝会 ~会員による能を発表 自力で造った舞台で~

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 能の同門会「長野県淑宝会」が1974(昭和49)年に発足、謡と仕舞を会員の皆さんの出演で毎年発表し、すっかり長野に定着しました。そして、ついに2000(平成12)年1月の淑宝会春季長野大会で、会員による能を発表することになりました。

 会の幹事会を開き、能の曲目と会場選びなどを話し合いました。曲目は「小袖曽我(こそでそが)」、役どころは幹事が務めることが決まりました。シテ(主役)の曽我十郎は近藤政雄会長、ツレの曽我五郎は斎藤義雄副会長(故人)、曽我兄弟の母は中島将之会計幹事、トモの団三郎は中沢博史、鬼王は中島輝行、中沢睦雄(故人)。6人の方々は、いずれもお弟子さんに謡と仕舞を教える資格を持つ教授嘱託会の会員です。

満員になった会場
 次に会場選びです。東京や北信地方から集まりやすいということで長野市内に絞り、難交渉の末、メルパルク長野のホールに決定。出演者は能のほかに舞囃子、仕舞、謡の演者と東京から来ていただく来賓の方たちを加え、盛りだくさんの番組構成になりました。

 舞台は業者に頼まず会員で造ろうと意見が一致。しかし、舞台正面奥の鏡板、三間四方の舞台、橋掛かりの3本の松の設置など素人だけでは困難なこともありました。幸い会員の中にいた大工さんに陣頭指揮をお願いし、舞台は2日間で完成しました。

 手作りでできた舞台で、休む暇もなく本番と同じように能の装束を着けて申し合わせ(リハーサル)をしました。東京からお呼びしたシテ方の先生、囃子方(はやしかた)も加わり、会員たちは皆緊張した様子でしたが、普段の稽古どおりにできたようでした。

 大会当日の1月30日は晴天に恵まれ、約700人収容の会場は満員。午前9時に開演し、「東北(とうぼく)」「鶴亀」「高砂」「竹生島」「羅生門」など連吟、仕舞の番組が順調に進みました。この間も楽屋は出演者の家族や友人知人で大にぎわいでした。昔ながらのカツラと装束で変身し、普段と全く違った姿に笑い声が絶えず、出演者はリラックスして本番を待ちました。

成長した会の姿
 能「小袖曽我」は鎌倉時代初期に曽我五郎、十郎の兄弟が父の敵を討った事件を扱った作品です。仇(あだ)討ちに向かう兄弟と母の別れの場面は悲壮感にあふれ、会員が扮した曽我兄弟が一緒に舞う相舞(あいまい)は見事にそろい、母の思いを伝える謡に涙する観客の姿も。

 1時間ほどで能が終わった時、会場から割れるような拍手が起こりました。金井章先生(故人)に地謡の一人を務めていただき、私は恩師の渡辺三郎先生と後見席に座りました。

 長野県淑宝会は金井先生から「私が長野につくってあげよう」と勧められてできた会です。それから四半世紀。大会は私の番外仕舞「岩船」で午後5時すぎ滞りなく終わりましたが、能を演じるまでに成長した会の姿を、生みの親である金井先生に直接見ていただき感慨もひとしおでした。

 この後、舞台を前に懇親会が開かれました。アルコールの入ったグラスを交わしながら祝辞や感想などのあいさつが続き、思い出に残る大会となりました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年9月19日号掲載)

=写真=会員が力を合わせて舞台を造る

 
中村孝太郎さん