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091 川中島音頭 ~実りの里に哀歓を込めて~

川中島音頭
        北原白秋作詞
        町田嘉章作曲

一、信州ナア 信州信濃の 川中島は 犀と千曲の あいの島
(ハヤシ)「聖が曇れば 雨となり 冠着明かれば 晴れとなる ヤアレ ソウレヤアントナー」
 (以下、ハヤシは同じ)
七、朝はナア 朝は越後よ 日暮れは甲斐よ 
わしとおまえも 五分と五分

    ◇

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 長野市街地西南、犀川を挟んで安茂里と川中島方面を結ぶ小市橋を歩いていた。ほぼ真ん中に差し掛かるや急に強い風が吹き寄せる。

 風上の上流には、両側から山が迫り、狭い谷を押し広げるように犀川が奔流となり、善光寺平へ躍り出ている。風もまた川伝いに、強く流れてくる。

 県歌「信濃の国」で〈松本伊那佐久善光寺〉と歌われた平の一つ、善光寺平。その中核をなす川中島平は犀川が土砂を運び、つくり上げた扇状地だ。扇子を広げた形に開けている。

 「川中島音頭」の作詞者北原白秋は、大詩人らしく目の付けどころがいい。川中島平を〈犀と千曲のあいの島〉と形容してみせた。犀川と千曲川の間にできた島だというのである。

 千曲川最大の支流犀川は、北アルプス槍ケ岳や中ア駒ケ岳を源流とし、松本平から深い渓谷を蛇行して善光寺平への入り口、小市橋近くの犀口に達する。

 この犀口が扇のかなめに相当し、ここから東と南へ扇を開いたように広がって約10キロ。先端が千曲川に届くまでの広大な大地が川中島平ということになる。まさに大河二つの〈あいの島〉だ。

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 今でこそ犀川は落合橋下流で千曲川と落ち合うまで堤防に守られているものの、かつては犀口から放射状に幾筋も分かれていた。その古い川筋が用水路として生かされ、伝統の米麦二毛作、リンゴや桃の果樹栽培を支える。あいの島は豊かな恵み、豊穣(ほうじょう)の里を誇ってきた。

 とはいえ、汗水垂らす農民にとって気掛かりといえば、年ごとに、あるいは日々刻々、目まぐるしく変わる天候だろう。気象衛星で観測できる現代と違い、雲とか風の動きで判断するしかないころだ。

 いわゆる観天望気である。例えば〈聖が曇れば雨となり、冠着明かれば晴れとなる〉。

 長野市大岡と東筑摩郡麻績村の境、聖山(1447メートル)は近在の雨乞いの山だ。善光寺平南部では、聖山に雲が掛かれば雨と言い伝えられている。逆に千曲市の南寄り、姨捨伝説の冠着山(1252メートル)が明るくなれば晴れとされた。

 そんな自然頼みの農民を泣かせたのが戦だった。田畑を荒らされ米や麦を奪われる。武田信玄と上杉謙信の川中島合戦は、この平の豊富な農産物をめぐる争奪戦でもあった。

 そう思えばこそ平和に暮らせる時代はありがたい。今は昔のこととして音頭の題材に組み入れ、歌い踊って楽しむことができる。

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 〔音頭〕本来は独唱と合唱の掛け合いによる民謡の一種。やがて大正末から昭和初期、この形式を踏まず当代人気の作詞・作曲家による新民謡が流行。ご当地ソングの音頭が多く生まれた。

(2015年9月5日号掲載)

=写真1=犀口から扇状地が始まる
=写真2=古い川筋の用水路
 
愛と感動の信濃路詩紀行