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092 姨捨の月 ~名月に物語の情趣が加わり~

わが心なぐさめかねつ更級やをばすて山にてる月を見て
                                  (古今和歌集よみ人しらず)
        ◇

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 輝く月をたたえた詩歌は数多い。けれども結局は、古今集のこの一首に始まり、この一首に尽きる気がする。
〈旅心を慰め楽しませようとするのだけれども、どうしてもそうはできかねている。ここ更級の里、姨捨山のこれほどにまで見事に照る月を眺めたのでは〉

 「よみ人しらず」とされる歌の作者は、あまりに美しい姨捨山の月に圧倒された。しみじみと感動で胸いっぱいになってしまったのだ。都からの旅人に違いない。以来、信濃の国更級は月の名所として知られることになる。

 平安時代、10世紀初めの古今集成立から約50年後には、年老いた人を山奥に捨てる棄老伝説を主題として、同じ歌が「大和物語」に登場する。

 親代わりのおばと仲良く暮らしてきた男が、薄情な妻に迫られておばを山に置き去りにしてきた。それが切なくてならない。夜も眠れないで詠んだ歌という筋書きである。となると作者は、姨捨山のふもと更級の人だ。

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 この場合、歌の意味も古今集とは少し異なってくる。〈心を晴らそうとしても晴らしようがない。おばを捨ててきた姨捨山に照る月を見ていると〉。

 罪の意識で憂いが募り、男の心は慰めるすべがない。こうしてものの哀れを誘う姨捨山の月影は、物語性を帯びて一段と人々を引きつけていった。

 このごろ月の名所といえば千曲市八幡、さらしな・姨捨名月の里が知られる。JR篠ノ井線の姨捨駅周辺だ。足下に田毎(たごと)の月で名高い棚田が広がる。近くの長楽寺には伝説にちなむ姨石がそそり立つ。

 かつてはこの辺りが姨捨山とされた。今では南寄りに人里から離れてそびえる冠着山(1252メートル)のことをいう。そして中秋の名月などに千曲川を挟んで東側、対岸の鏡台山(1269メートル)から昇る月をめでるようになった。

 ところで篠ノ井線の長いトンネルを抜け東筑摩郡麻績村を訪ねると、話は違う。村の中心部から東に見える冠着山にかかる月こそ姨捨山の月だと、村の人たちは誇らしげに語る。

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 なるほど冠着山を一望できる高台には「信濃観月苑」と名付けられた月見の館が建てられている。茶室や俳句道場も備わり、いわば文化活動の拠点だ。

 ここから眺める冠着山は、富士山形に左右対称の姿が優しい。頂の上に差し掛かった満月は、古歌に詠まれた姨捨山に照る月そのものだろうと思えてきた。

 江戸時代、松尾芭蕉が「更科紀行」の旅で中秋の名月を吟じたのは千曲の姨捨。奈良・平安のころの月の名所は麻績の里。こう考えると、つじつまはよく合う。いずれ劣らぬ月の里の風情である。

 〔中秋の名月〕名月というだけでも陰暦8月15日の月のこと。最も明るく澄んで美しいとされ、観月、月見の宴が催される。中秋は陰暦の秋3カ月、7、8、9月の中の月の意味で8月を指している。
(2015年9月19日号掲載)

=写真1=月の名所の長楽寺
=写真2=麻績村からの冠着山
 
愛と感動の信濃路詩紀行