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03 志賀高原 ~国際観光地の歴史 老舗ホテルでしのぶ~

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 志賀高原を夏の終わりに訪れた。長野駅東口から志賀高原の横手山(2307メートル)下まで直行バスが出ているが、今回は電車と路線バスを使っての「のんびり旅」。長野電鉄は電車とバスが2日間乗り放題のフリー切符(3200円)を販売、途中下車もできる。

 6時44分長野発の各駅停車で湯田中へ。さらに志賀高原へ向かう接続バスに乗り換えた。

 長野駅から2時間強、「のぞき」バス停に到着。ここから山の斜面を登るエスカレーター「横手山スカイレーター」とリフトを乗り継ぎ、10分ほどで山頂に着く。山頂はすでに中高年や中国語圏からの観光客、合宿中らしい学生らでにぎわっていた。

 晴れた日なら目の前に笠ケ岳と北信五岳、北アルプスの眺望が広がるが、この日、山並みは全て雲の中。残念だが、天気が安定する秋に期待したい。

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 山頂のヒュッテで朝食を取り、下山。再びバスで丸池バス停まで下る。ここから50メートル下った右側に、山小屋の形をした大きな建物「志賀高原歴史記念館」がある。1937(昭和12)年に開業し、長野五輪翌年の1999(平成11)年まで「志賀高原ホテル」として営業していた建物だ。現在は地元の土地所有者などで構成する一般財団法人和合会が所有、公開している。

 30(昭和5)年の昭和恐慌を受け、政府は国内各地の観光開発による外貨獲得を狙いにこの地に国際スキーホテルを建設することに。11番目の国策ホテルとして開業した。いわばインバウンド(外国からの誘客)の先駆けだ。

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 ほぼ開業当時のままというフロアに入ると、正面に暖炉が構え、3階まで開放的な吹き抜けになっている。木のはりが整然と並び、白い壁や赤いじゅうたんとのコントラストが美しい。2階と3階にはステンドグラスや日本画が飾られ、上品で落ち着いた内装だ。

 館内には歴史を物語る写真が飾られ、戦前から60年代にかけて、皇族をはじめ国内外から多くの観光客が同ホテルを来訪した様子を伝えている。70年代以降は、スキーの大衆化と宿泊客の増加に合わせホテルの一部を改築。平成初頭のスキーブームで観光客の数はピークを迎えた。

 北志賀を含む志賀高原の観光客は、ピーク時(90年)の約760万人から、2014年には約338万人に半減した。ただ、地獄谷野猿公苑やスキー場を訪れる外国からの観光客は増えつつある。

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 紅葉は、横手山付近が9月下旬から始まり、丸池は10月中旬。彩りの季節はすぐそこまで来ている。
(森山広之)


=写真1=開業当時の雰囲気を伝える「志賀高原歴史記念館」の館内。右奥に喫茶店がある

=写真2=路線バスと横手山。左に「スカイレーター」が見える
 
小さな日帰り旅