
木遣りや御柱をひく姿、行列などを描いた縦1.2メートル、横3.5メートルほどの大絵馬が、東町の武井神社拝殿にある。2010年に同神社中心に行われた「御柱大祭」の様子を、絵師の尾頭(山口佳祐)さんが描き、地元の若者ら有志グループが奉納した。
善光寺御開帳の翌年は御柱の年だ。諏訪大社に合わせるかのように、善光寺平の各地で準備が進む。
「おすわさん」を尊崇する諏訪社は、長野市内に170社前後もある。諏訪大社と同じく、「建御名方命(たけみなかたのみこと)」や后神(きさきしん)「八坂刀売命(やさかとめのみこと)」を祭る。30社近くが御柱祭を行い、2~4本程度を建てる。諏訪大社の巨木には負けるが、電柱くらいの御神木をひき回す。
長野市街地では、来年10月10日、湯福神社の主導のもと、関連の神社や氏子が参加して行われる。市中の里曳(び)きは交通事情で簡略化するが、約3千人と予想される大行列の終点は湯福神社。境内に柱を2本建てる。江戸時代から続く伝統である。
「北信では随一。諏訪大社とほぼ同じ形式で行う」と誇らしげなのは、来年5月3日に御柱祭を行う小川神社がある小川村。「独立自尊の行政、文化を反映する村を挙げてのイベントになる」という。
諏訪社を名乗るところは全国で6千社を超え、一説には2万5千社ともいわれる。もともとは農業神だったが、狩猟や戦勝祈願の神になり、武士の崇拝を集めたので、庶民もならい、諏訪社信仰は広がった。面白いことに、大きな張り子の竜が舞い踊る長崎市の「くんち祭り」も、氏子に中国系住民が多いという鎮西大社諏訪神社の例大祭だ。
長野県内の諏訪社は1200社以上で、新潟県は1700社近いとされる。郷土史家の小林計一郎さん(故人)によると、「善光寺を建立したのが、信濃の最大豪族で諏訪大社を奉ずる金刺(かなさし)氏一族だったからだ。善光寺の仏様の守護神として、各所に鎮座させることになった」という。
古い善光寺境内図には、本堂裏に小さな諏訪社が描かれている。城山県社はその後身で、明治時代に善光寺境内から引っ越した。ちなみに、大本願には社殿内に「秋葉神社」をまつっている。度々の火災に悩み、火よけの神である秋葉さまに頼んだというわけである。
長野市は神様、仏様が仲良く共存する典型的な神仏習合の町だ。
(2015年10月24日号掲載)
=写真=武井神社にある御柱大祭の大絵馬(一部)