記事カテゴリ:

18 2人の娘 ~次女が能楽師の妻に 4代目の孫が初舞台~

 私は2人の娘に恵まれ、長女の千香が2004(平成16)年、次女の千絵が06(同18)年に相次いで結婚しました。特に次女は能楽師の野月聡と結ばれ、能楽師の妻として私たち夫婦と同じ世界を歩んでいます。

 私は次女の結婚に強い運命的なものを感じています。それは1993(同5)年、「翁(おきな)」の舞台で偶然にも野月と共演し、同じ舞台に立ったことです。「翁」は能・狂言のルーツと言われ、1年の舞台の安全、観客と能楽師の安泰を祈願し、年の初めに舞う能です。「式三番」とも呼ばれており、能でありながら神事として清らかに舞う祝言曲です。

想像だにせず共演
 その時のシテの翁が私で、ツレの千歳(せんざい)の役を野月、三番叟(さんばそう)を野村武司(萬斎)が務めました。千歳がまずさっそうと若者の舞を舞い、翁がお祝いの謡と舞、三番叟がお祝いの舞を順に演じました。

 年齢、修行年数などで役が決まったのでしょう。翁である私が舞う前に露払い役で舞った野月が将来、次女の千絵の婿になろうとは...。その時は想像だにしませんでした。

 野月は青森で育ち、宝生流シテ方の寺井良雄先生(故人)の元で、子供の役である子方(こかた)を務めるなど修行し、先生にかわいがられていたようです。先生の勧めもあって上京。大学を卒業して18代宝生英雄(ふさお)家元(故人)の内弟子になりました。

 内弟子を卒業して何年か後に野月と次女との付き合いが始まりました。2人が初めて出会ったのは食事会だったと思います。やがてめでたく結婚の運びとなりました。同じ宝生流シテ方の金井雄資先生が披露宴のスピーチで、新郎について「無添加、無農薬の素朴な好青年」と話されていたのを覚えています。

 結婚後、長男と次男が誕生。長男の惺太(しょうた)は6歳の時「鞍馬天狗」の子方の役で初舞台を踏みました。祖父母である私たち夫婦と両親の野月夫婦がはらはらしながら見守る中、惺太は無事演じ終え、能楽一家4代目の誕生となりました。

 「翁」の舞台で私と野月が1枚の写真に写っているのを見つけたのは、2人が結婚してしばらく後のこと。古い写真を整理していたのですが、全く偶然でした。思わず声が出るほど驚きましたね。96(同8)年の高山村での薪能や4年後のメルパルク長野の淑宝会春季大会に、野月が地謡として東京から同行していたことも、後で当時の番組表を見て知ったことです。

長女・姉も八千代に
 私の娘婿になる相手と長い間、知らない中で行動を共にしていたのですね。能の世界で先輩と後輩の間柄から親子の関係が芽生え、うれしいことになりました。「これが運命というものか」と思うゆえんです。

 長女の千香も結婚後一男一女をもうけ、私たち夫婦と同じ八千代市で幸せに暮らしています。私の両親は既に他界し、松代で一緒に育った姉も郷里を離れて八千代市の私の自宅近くに住んでいます。私の周りは妻と2人の娘夫婦と4人の孫でにぎやかです。

 「まだまだ若い」と自分に言い聞かせてはいますが、今年73歳。私もすっかり「翁」になりました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年10月3日号掲載)

=写真=「翁」でシテを演じる私(右)とワキの野月氏(左から2人目)
 
中村孝太郎さん