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21 家族の協力 ~自宅を開放し大会 献身的な妻に感謝~

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 私が能楽師を務めてこられたのは、先輩後輩や多くのお弟子さんはもちろんのこと、いつも身近にいる家族のおかげです。特に桂子は能楽師の妻として私の心と体の管理、お弟子さんやご近所との付き合いだけでなく、大会の裏方など、本当に献身的によくやってくれています。

 淑宝会は年に4回の大会を開きます。2月に最も大きな春季大会(宝生能楽堂)、7月に関東のゆかた会、11月に秋季大会をいずれも自宅の敷舞台で、その後に長野で開いています。このうち自宅で開く夏と秋の時は妻が大忙しです。

人であふれたわが家
 出演する東京周辺のお弟子さんが千葉・八千代台のわが家、淑宝会では「中村舞台」と呼んでいますが、ここに大勢集まります。そのため、普段生活している家を全部開放しなければなりません。

 日常使っている物を持ち運びして片付けるわけですが、いつもは雑然としているので、てんてこ舞いの忙しさです。お弟子さんが多かった時は男女別々の着替え室と控室に4部屋、1階は食事をするためにリビングと台所を開放していました。妻は「友人が手伝ってくれて大助かり」と今でも感謝しています。

 淑宝会の夏のゆかた会は謡だけなので、最近は洋服のままで行います。しかし、秋の大会となると、謡と仕舞の両方があるため、そうはいきません。紋付き、はかまに着替えるので、女性は妻が手伝います。近ごろは中学生の発表も一緒にやるようになったため、学校の先生や家族の方たちも見に来られます。

 わが家は人であふれ、まるでお祭り騒ぎのように朝から大にぎわいです。中学生は全て「鞍馬天狗」の発表ばかりですが、卒業生も交ざって、皆さん喜んでいますね。活気があっていいですよ。

 食事は、昼は弁当を取り、おかずの幾つかと終わりのお茶やコーヒー、デザートは妻と友人の手作りで。飲んで食べて。以前は大会後に自宅で宴会を開いていました。しかし、数年前から近くのすし店に皆で出掛けるようになり、自宅で宴会はしなくなりましたね。

 能のこと以外でも、妻には感謝することがたくさんあります。1995(平成7)年に私の父・作治郞と妻の母・千代子が、2009(平成21)年に私の母・けさが亡くなりましたが、最期をみとるまで身の回りの世話をしてくれました。八千代台では町会の役員をやったり、30年近く交通安全に尽力して表彰されたりするなど、地域のボランティア活動をしています。高齢者の方たちに慕われているようですよ。

家族が気遣う
 妻も2人の娘も私に対してごく普通に接してくれました。しかし、舞台に立つ日が近づくと、私は緊張して寝付かれずに食欲がなくなり無口になることがありました。娘たちもそれを感じて、幼いころは私に寄りつかなくなりましてね。

 妻は消化の良い食べ物を考え、気持ちを落ち着かせるような言動を心掛けて、当たらず障らずにしていたようです。時にはそれがかえって気に障っていら立つこともありましたが...。

 そんな期間は舞台の10日ほど前からのこともあれば前日だけのこともありましたね。ただ舞台が終わってしまえば、うそのように普段の自分に戻りました。家族にはいろんな気遣いや気苦労をさせたと思っています。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年10月24日号掲載)

=写真=八千代台の自宅で開いた秋季大会。(左が私)=2011年11月
 
中村孝太郎さん