
月よりの使者
佐伯 孝夫作詞
佐々木俊一作曲
白樺ゆれる 高原に
りんどう咲いて 恋を知る
男の胸の 切なさを
啼け啼け山鳩 幾声も
夜霧の駅に 待つ君の
おもかげ強く ふり捨てて
はかなや月に 泣きぬれし
白衣の袖よ いつかわく
◇
幹の白さが目立つ白樺は、標高1000メートルを超す山地に多い。青紫色の花を空に向けるリンドウも、秋の高原によく似合う。
かつて紅涙を絞ったメロドラマ「月よりの使者」は、八ケ岳の南西、富士見高原を舞台にしている。白樺とリンドウに象徴される清涼さが魅力の土地だ。

澄んだ空気とたっぷりの日光。恵まれた環境を生かして1926(大正15)年、結核治療に当たる富士見高原療養所が設立された。
そのころ、結核は不治の病として恐れられていた。治療に決め手はなく、十分な栄養と休養が中心になる。加えて富士見療養所では、日光浴が重視された。
当時の結核患者は若い人が多い。健康保険制度が整っておらず、入院費は自費で賄うほかない。経済的に恵まれた家庭の子女でないと入院は難しかった。
そんな折、療養所の存在を全国に広く知らせたのが、一編の小説である。1933(昭和8)年、雑誌「婦人倶楽部(くらぶ)」に連載された上田市生まれの作家、久米正雄の「月よりの使者」だ。翌年、さらに49、54年と映画化された。
恋人を肺結核で失った若い女性、野々口道子が、失意のうちに療養所で看護師として献身する。その美しい姿に患者の一人、弘田進が熱い思いを寄せる。49年の映画化で主題歌となったのがこの歌だ。
哀切感たっぷりのラブストーリーは、1、2、3番を男性、女性歌手が交互に歌い、4番で男女2人が声を合わせて盛り上げる。

幾春秋(いくはるあき)を さまよえど
まことのえにし 結ぶ日は
月よりの使者 思い出の
りんどう抱いて 来るという
うろ覚えの歌詞を頭の中でなぞりつつ、JR中央本線の富士見駅から線路を越して北東へ向かった。10分ほど歩けば、県厚生連富士見高原病院に着く。
敷地の一角に富士見高原療養所時代の1棟が保存され、2階が結核治療の歴史を伝える資料館として公開されてきた。それが取り壊されると聞いたからだ。3年前の2012年9月のことである。
確かに創立時の病棟は、外観が古びてわびしい。ところが、中に入って驚いた。廊下も壁も使われ続けただけにしっかりしている。2階に通じる階段の板は木目が浮き出て、上り下りを繰り返した患者の息遣いをしのばせた。
死を身近に、しかし恋も希望も絶やさなかった足跡でもある。
(JASRAC許諾番号1511336―501)
(2015年10月3日号掲載)
〔結核療養所〕サナトリウム。結核治療の主流が清浄な空気と日光の利用だったころ、高原や林間、海岸などに設けられた。日本では明治20年代に始まる。
=写真=取り壊される直前の旧病棟
=写真=木目も鮮やかな階段