
長野県の2大都市・長野と松本を結ぶ篠ノ井線。着工前には、6つのルート案があったという。長野から七二会、小川、大町を経由する案、信州新町などを通る犀川沿いの案、上田から保福寺峠や三才山峠を越える案。建設費や工事の難易度などから姨捨、麻績、明科を通るルートに決まった(「信州の鉄道物語(下)」)。
篠ノ井側から進められた建設工事は、まず西条(現筑北村)までが1900(明治33)年に開業。その先、西条―明科(現安曇野市)間の矢越(やごせ)峠を5本のトンネルや橋で越える工事が難航し、松本延伸までは1年半を要した。
この区間は急勾配でカーブが連続。このため国鉄時代から3本の直線トンネルを抜ける新線の工事が進み、民営化後の1988(昭和63)年に切り替え。旧線は廃止された。今、この廃線跡を歩くことができる。篠ノ井線に乗って明科を訪れた。
明科は、松本から流れてきた犀川に、安曇野からの穂高川と高瀬川が合流する所。駅から5分ほど歩くと犀川で、大渦を巻いて水運のネックだったという竜門渕に「竜神宮」がある。付近の竜門渕公園は、6月から7月にかけて4万株のアヤメが咲く名所だ。

公園の隣には県水産試験場がある。豊富な水を生かして大正時代に開設された。場内ではニジマスなどが飼育され、見学できる。
廃線跡の遊歩道化は10年ほど前、地元潮沢区が災害防止のため町に整備を申し出たのが始まり。西条駅方面へ6キロの線路跡を歩ける。明科駅から案内板に従って30分、潮神明宮から先が遊歩道だ。
単線の幅で上り勾配の道が延び、両側に20メートルほどの間隔で架線柱が立っている。レールと枕木、架線こそないが、かつてここに鉄道が走っていたことを強く感じさせてくれる。
案内を行う地元の宝喜吉さん(71)によると、バスツアーにも組み込まれ、昨年は1万人が訪れたという。訪れた日は雨の予報の平日で、ほかに人はいなかった。所々にうち捨てられた信号機や保線設備の残骸を見ながら、赤茶けた鉄さびが付いたバラストの上を歩く。

途中、2つのトンネルをくぐる。このうち漆久保トンネル(53メートル)は、保存状態のいい赤れんが造り。明治の雰囲気を色濃く残し、しばし見とれた。
遊歩道は、峠近くの旧第2白坂トンネルの手前で終わり。その先では国道403号「新矢越トンネル」の工事中で、重機やダンプのごう音が響いていた。トンネルによって、また交通の新しい時代がつくられるのだろう。
(竹内大介)
(2015年10月10日号掲載)
=写真=架線柱が並ぶ遊歩道(上)
=写真=蒸気機関車のすすで天井が黒ずむ漆久保トンネル(下)