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181 神社の鳥居 ~鳥に託した人々の思いは...~

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 神社の鳥居のことをどうして「鳥が居る」と書くのだろうか。年末近く心せわしい中、神社を通ると、手を合わせたくなる。鳥居で少しばかり居ずまいを正し、真向かいの拝殿・本殿に向かう。そんな折、「鳥居」の語源に興味が湧いてくる。

 「神社参道の入り口に立てて、神域を示す一種の門」。大方の著名な国語辞典や歴史辞典にある鳥居の説明は大同小異だ。2本の柱で立つ神明鳥居を基本に明神鳥居や、屋根が付いた山王鳥居など、いろいろな形がある。

 長野市内で異彩を放つのが、三輪にある美和神社の鳥居だ=写真上。3つの鳥居が横一列につながれ、4本の柱で立っている。「三輪鳥居」「三ツ鳥居」と呼ばれる形だ。

 美和神社のルーツは奈良県桜井市三輪にある「大神(おおみわ)神社」。神社がある三輪山がご神体で、そこには「古事記」などに登場する国造りの神さま「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」が宿る―とされる。大神神社の鳥居は、美和神社と同じ「三輪鳥居」で、重要文化財にも指定されている。

 鳥居の始まりや語源の歴史研究が比較的新しいことは、少々意外な感はあるが、昭和50年代から環濠(かんこう)集落遺跡の調査で注目を集めるようになった。

 守りのために、周りを溝で囲んだのが環濠集落。そこから鳥を模して削った「鳥型木製品」が多数出土した。鳥について▽天からの使者、穀霊(こくれい)を運ぶ▽集落の境界を守る見張り役―とする2説があり、今も両説があるままだ。

 韓国慶尚北道では、竿の先に鳥の形を付けて高く掲げ、境界を示す習俗がある。長崎県壱岐市の国指定特別史跡・原の辻(はるのつじ)遺跡でも、復元した王住居の門前に鳥を先端に付けた同じような柱を拝見した=写真下。

 「昔の王さまは、地位の象徴として、長く鳴く鳥を飼い、寄り合いのある日は門前で鳴かせたそうだ」。ガイドはこう説明してくれた。

 原の辻遺跡は佐賀県の吉野ケ里遺跡と同じように、弥生時代の文化が花開いたと評価される。稲作が朝鮮半島から対馬海峡を経て日本に伝えられた際に、この島を経由したと考えられている。鳥居をめぐる習俗も、それと同じだったと推測できるのではないか。

 壱岐よりも朝鮮半島に近い対馬では、柱が3本ある三角形の鳥居があった。柱が立つ地面はケルンのような石積み。こちらは鳥居が聖域を示す意味だとも思える。

 著書「鳥居」で滋賀大教授の谷田博幸さんは「鳥居は、拝殿、本殿に並ぶ神社3点セットの中で、忘れられて軽視されたファクターである」と指摘した。古代の人々は鳥居に何を託し、祈ったのか。鳥居に関する興味は一段と深まる。
(2015年11月21日号掲載)
 
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