記事カテゴリ:

23 県内の出演 ~松本城や上田城跡で 故郷で演じる喜び~

23-nakamura-1107.jpg
 長野では毎年、国宝松本城で薪能、上田城跡で城跡能が行われています。私も出演させていただいており、生まれ故郷で能を演じる喜びを感じています。

 松本城の薪能は、今年34回を迎えました。当初は宝生流だけの公演でしたが、後に観世流と1年ごとに交互でやるようになりました。松本市などが主催するイベントの一つで、入場は無料です。私は「通小町(かよいこまち)」の深草少将役など数回出演しました。

 本丸庭園の特設舞台はライトアップした天守が背後にそびえ、城内で最高の場所です。今年は観世流の番で、8月8日にシテ方の坂井音重師らによる能「巻絹」「天鼓」が披露されました。

雨でハプニングも
 夏の台風シーズンは天候が不安定で、薪能の舞台は屋外ですから雨天では行えません。出演者が東京から車に分乗して出掛ける際、土砂降りの時もありました。「これじゃ公演は中止かも」と内心あきらめ半分で松本に着くと、現地はかんかん照りなんですよ。それで「来て良かった」と。宝生会からは「天候はどうなるか分からない。とにかく行ってほしい」といつも言われていましたね。

 1994(平成6)年8月9日の13回目の時、こんなハプニングがありました。私が「羽衣」のシテを演じている最中に雨が降り始めたのです。舞台の進行は宝生流の宗家と観光協会の役員の方が話し合って判断します。私は面と装束を掛けていますから、雨には気付きません。後見役に耳元で「雨が降ってきたから途中を飛ばしてすぐキリ(終盤)をやってくれ」とささやかれました。

 「いきなりキリと言われても...」と戸惑いました。幸い地謡がキリの部分を謡い始めたので、それに合わせて舞って事なきを得ました。約500人で埋まった観客席も雨でざわついていました。演者に耳打ちすることは普段の舞台ではめったにないことです。時間の短縮に気付いた観客も多かったでしょうが、クレームは出ませんでしたね。

 上田城跡の能は97(同9)年に観世流が薪能を行ったのが始まりで、宝生流と1年ごとに交互に開催。舞台は当初、櫓(やぐら)門を背景にした屋外でした。

上田でシテを7度
 会場の準備が全て整っていざ開演という時。雨が降るということで、急きょ隣接する市民会館内に移動して開いたことがあります。当時は雨に備えて屋外と屋内に舞台を二つ造っていたのですね。「無駄遣いでは」との声も出て、のちに城跡能と名を変えて屋内で開かれるようになりました。

 9回目以降は観世2年、宝生1年のパターンで行われています。入場料は3千円から。能楽師による能楽講座も同時に開かれて好評です。19回目の今年は9月12日にサントミューゼ(上田市交流文化芸術センター)で行われ、シテ方の観世喜正師らが能「屋島」「紅葉狩」などを演じました。

 私は2回目の「経正」から17回目の「猩々」までシテを7度演じました。ある時、公演後に淑宝会の会員が小宴会を開いてくれました。馬の産地である望月の馬刺しを食べながら、同級会を開いているような雰囲気で楽しく過ごしたことを思い出します。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2015年11月7日号掲載)

写真=上田で「紅葉狩」を演じる私(右)=2000年8月24日・信濃毎日新聞社提供
 
中村孝太郎さん