
吹(ふき)とばす石はあさまの野分(のわき)かな
松尾芭蕉
◇
まずは〈古池や蛙飛びこむ水の音〉だろうか。〈閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声〉もよく知られる。〈夏草や兵どもが夢の跡〉も、負けず劣らず人気が高い。
日本の誇る古今独歩の大詩人松尾芭蕉。日々旅から旅へ漂泊流転の人生を貫き、さび・しほり・ほそみ―といった閑寂、高雅な文芸の世界を切り開いている。
それらの句境を体現した代表的な作品の中でも、〈吹とばす〉の一句は異彩を放つ。いきなり秋の強風のすごさを冒頭に据えた。なんと石までが飛ばされてしまう。浅間山の荒々しく力強い光景をリアルにとらえた。

古来、煙の立つ山として和歌に詠まれてきた名所だ。多くは燃える思いになぞらえた恋の歌である。平安の歌人西行らのたどった歌枕にあこがれる芭蕉も、実際に目にするまでは、同様のイメージであったに違いない。
ところが、いざ来てみれば荒涼としている。芭蕉は驚き感動し、斬新な感覚、独創的な詩境で新たな表現を発見することに成功した。紀行文「更科紀行」はこの句を最後に終わる。
あらためて行程をたどれば、信州更級への旅が果たした役割の大きさが浮かび上がってくる。1688(貞享5)年8月11日岐阜を出発、険しい木曽路を急ぎ、15日の夜には到着して名月を仰いだ。
善光寺を訪れたりしながら17日まで、3晩にわたってあこがれの地、更級での月の鑑賞に浸る。そして北国街道から中山道を経て江戸へ向かう途中、浅間のふもとで風にあおられたのだった。
〈さらしなの里、おばすて山の月見んこと、しきりにすゝむる秋風の、心に吹きさはぎて...〉。

「更科紀行」はこう書き出している。中秋の名月を月の名所で眺めたい。そんな風流心を抑えがたく、秋風に促されての旅だった。
俳諧宗匠として手中に収めつつあった栄達を捨て、江戸深川のわび住まいで風雅に徹しようとしていた芭蕉だ。翌年の春には奥羽・北陸の歌枕を巡る約2400キロ、5カ月に及ぶ大旅行を敢行する。
心魂を傾けた紀行文「おくのほそ道」で長途の旅に臨む気持ちをつづった。〈片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず〉と。風に漂う雲のように、さまよい歩く願望に駆られ、じっとしておれない。「更科紀行」冒頭の旅心と重なり合っている。
言い換えれば「更科紀行」は「おくのほそ道」の先駆けをなした。ひたすら信濃路を歩くことを通じ、旅こそ人生とする執念を確実に膨らませていった。
浅間山を見上げる軽井沢町追分の浅間神社境内には、〈吹とばす〉の一句を彫った石碑が立つ。荒削りで豪快そのものだ。大自然の営みを全身で受け止めた芭蕉の、詩人としての器の大きさをしのぶにふさわしかった。
(2015年11月14日号掲載)
〔野分〕野の草を吹き分ける激しい風という意味。つまり稲の開花期である二百十、二十日前後に吹き荒れる強風のこと。今日の暴風、台風であり、俳句では秋の季語とされている。
=写真1=白い煙がなびく浅間山
=写真2=芭蕉の句碑