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02 農家に生まれる ~手伝いや野山の遊び アスリートの基礎に~

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 私は秋田県雄勝郡山田村(現湯沢市)の農家で産声を上げました。父・高橋忠吉、母・タマノの間にできた13人半きょうだいの12番目の7女でした。13人半というのは、妹が日の目を見る前に他界してしまったからです。

 実家の農家は規模が大きく、田んぼだけで約2町歩(2ヘクタール)ありましたから、両親は働きづめでした。もちろん、きょうだいと一緒に私も手伝いました。

 田植えの時には、おにぎりを運んだり、苗を田んぼに投げ入れたり。秋の刈り入れでは、わらを長い距離、運ぶなどしました。わらの干し方は、こちらのはぜかけと違い、丸く重ねて結構な高さまで積んであったのを覚えています。

日々の暮らし
 体力を持て余していたのか、よく友達と鬼ごっこやかくれんぼをして、走り回っていました。母が喜ぶので、山菜採りもしました。当時は熊と遭遇する心配がなかったので、タケノコ採りなどで山にも入っていました。

 豪雪地帯という土地柄、冬は屋根から下ろされたたくさんの雪を利用して、かまくらを作りました。わらを引いた上にむしろを敷き、そこにこたつを置いて、焼いた餅を砂糖じょうゆで食べて、仲間と楽しんでいました。時には布団を運んで泊まったこともありました。

 農家でしたので、お米、みそなどは自前で用意でき、食べることには不自由しませんでした。お肉が必要な時は、飼っていた鶏やウサギを利用しました。私も、小学生ながら鶏の血抜きからさばきまでしたことを覚えています。

 魚は、魚屋さんが売りに来た時に購入するのですが、お金を払わないで、帳面に書いてもらっていました。当時の一般的な光景で、秋に精算する掛け売りでした。支払いは、お金の代わりに収穫したお米を充てていました。

 母は地域の料理人みたいな役割もしていました。冠婚葬祭に出す料理をそれぞれのお宅へ教えに行ったり、作ったりしていました。ですから「おふくろの味」を挙げると、たくさんあります。たくあんや一夜漬けをはじめ、いろいろな種類の漬物です。煮物も好きですね。そういう母の姿を見て育った影響で、料理をするのが好きになりました。

かけっこは1位
 私はチャキチャキな性格でもありましたので、山田小学校の1、2年生のころは、整列の際にしっかり並ばない児童を見つけたら注意していました。ですから、周囲から恐れられていたと思います。6年生になると、児童会の副会長に選ばれていました。

 アスリートとしての基礎ができあがったのも山田小学校時代でした。入学時から足が速くて、1年生から6年生まで運動会のかけっこは1位でした。カーブでは、腕をグルグル回しながら走ったことを覚えています。

 さらに、4年生から6年生まで、郡大会百メートルの選手に選ばれて、優勝を含め、表彰台に上がっていました。

 勝ち気な性格が結果を出していたのだと思いますが、やはり、家のお手伝いをしたり、野山を走り回ったりしていたことで、筋肉が付いたのだと思います。

 このころ、家にスキーのセットはありましたが、1台だけで、きょうだいが多かったこともあり、まだ触れることはありませんでした。
(聞き書き・塚田裕文)

(2015年12月5日号掲載)

=写真=小中学校時代は水田作業の授業も(母校の山田中学校=1950年代後半)

 
千葉弘子さん