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04 高校生活 ~きつい練習を必死に 全国で初めての2位~

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 高校(秋田県湯沢北高)2年生になると、スキーのクラブ活動にも慣れてきました。当時は、身長1メートル55センチ、体重は50キロと小柄な体格でしたので、相手に走り負けない体力をつけようと、毎日3食はどんぶり飯3杯を平らげていました。

 一生懸命走れば、結果がついてくることも認識し始めた時で、きつい練習にも必死についていきました。ですから、合宿などでは食べることが唯一の楽しみでもありました。

 努力が実り、県民体育大会の8キロで初優勝しました。地元の新聞に「3キロ付近で、2分前に出走した(同校先輩の)小室さんを抜いた時には、『あるいは』という気がしましたが、後は夢中で走りました」と、私のコメントが取り上げられました。うれしくて、今でもスクラップにして大事にとってあります。5キロでは2位に入りました。

勉強もしっかり
 1月に北海道の小樽で開かれた全国高校スキー大会では、9キロリレー(3キロずつ3人)のアンカーで出場。10秒ほどタイムを縮めましたが、首位を走る宿敵の柴田女子高(青森県)との差は大きく、2連覇を許すことになってしまいました。

 ただ、私にとっては全国で初めての2位。「途中の上り坂が一番苦しかった。2位になれて本当にうれしい」と、記者の方に素直な気持ちを話していたことを覚えています。

 学校生活では、勉強はしっかりしたと思います。農家の仕事で毎日忙しくても、立派に育ててくれた両親に感謝の気持ちもありました。小学校から成績は悪くありませんでした。

 母は小学校の授業参観を欠かしませんでした。きょうだいが多かったので、掛け持ちになっていましたが、全ての子どもたちを回っていたといいます。それが普通だと思っていました。そんな母の姿を見ていたので、机に向かっていました。

 父は私が高校1年の時に他界しました。残念ながら、当時の悲しみのせいか、父の記憶はほとんどありません。

 小学校ではきちんと並ばない友達に注意をしたり、中学で生徒会の役員を務めたりした生来の気の強さは相変わらずでした。ただ、仲間や後輩に対して威厳をふりかざしていたわけではないので、慕われていたと思います。ですから、先輩にもかわいがってもらいました。

地元で全国大会開催
 そのせいか、私が生徒会長に立候補したところ、先輩が応援演説を買って出てくれたのです。まさに「青春の一ページ」という感じで、楽しかったですね。応援してもらったかいもあって、当選。3年生の前期まで生徒会長を務めました。

 スキーは3年生になり、クロスカントリー選手としての体力や技術に磨きをかけました。当時の人気芸人・デン助(大宮敏充さん)のものまねが上手なことから、「でん」というあだ名を付けられていた私は、主将に任命されました。

 そして、2月に全国高校スキー大会を迎えました。地元秋田県の花輪スキー場で行われ、気持ちも高ぶっていました。6キロで2位に入った私は、リレー(3キロずつ3人)のアンカーとして出場しました。

 快晴無風といった絶好の競技日和で、観衆も約3万人が詰めかけていました。
(2015年12月19日号掲載)

=写真=高校2年生の時、県民体育大会に出場した私。8キロで初優勝
 
千葉弘子さん