
前日、長野市内に初雪が降った11月最後の土曜日、カルチャー教室里山講座の会員たちと戸隠古道を歩いた。この時季の登山は厳しくなるため、講師の野崎公夫さんが選んだのがこのコースだ。地元ガイドさんの解説を聞きながら、戸隠神社五社巡りを楽しんだ。
7時に長野駅前を中型バスで出発。一面、銀世界となった飯綱高原一之鳥居苑地から歩き始める。ここには江戸時代に大規模な石の鳥居があったが、1847(弘化4)年の善光寺地震で倒れたままになっている。
ここからは、一丁(約109メートル)ごとに丁石(ちょういし)が置かれ、古道歩きの道しるべになっている。11月初めの下見の時には、枯れ草を踏みながら歩いたのに、この日は今季初の雪道歩きとなった。
程なく着いたそば店のある大久保から、時間短縮のため再びバスに乗る。宝光社手前の地蔵堂で降り、ガイドさんの説明を聞く。堂内に祭られている延命地蔵は半身が地中に埋まっている。

宝光社までは車道を歩き、息を弾ませながら長い石段を上る。たどり着いた社殿は、彫刻が見事だ。破風を飾る麒麟、鳳凰、龍などは、鬼無里の山車を作った北村喜代松の作という。
宝光社から次の火之御子社までは、「神道(かんみち)」を歩く。うっそうとした森の途中には、かつて戸隠山や奥社を遥拝(ようはい)した伏拝所(ふしおがみしょ)がある。火之御子社には芸能の神が祭られ、ガイドさんはお忍びで参拝に来た有名女優と出会ったことがあるという。
さらに神道を歩き、中社へ。鳥居の前で御神木の三本杉の説明を聞き、石段を上って社殿で参拝。天井をのぞくと、幕末から明治にかけて活躍した絵師・河鍋暁斎が描いた龍の絵がちらりと見える。ただし、この絵は戦時中の火災で焼失し、絵はがきを基に復元したものという。
中社の後は鬼女紅葉の手下、おまんを祭る足神さんを訪ね、近くの小鳥ケ池のほとりで昼食に。約20人があずまやの中にびっしり座り、弁当を広げる。晴れていれば、池の背後に戸隠連山が姿を見せるのに、雪がちらついてきた。
ここから一行は、鏡池を経て森林植物園の中を通って随神門へ向かう。私は膝を痛めた女性を迎えのバスまで送る都合もあって、一人、中社から奥社入り口へ続く古道をたどる。
途中には、女人禁制を侵して神域に入った女僧が石になったと伝わる比丘尼石がある。さらに戸隠最後の修験僧といわれる女性行者・姫野公明師が建てた公明院の境内を見学する。

膝下まである雪道を進み、奥社入り口で待つバスにリュックを預け、空身で参道を奥社へ向かう。雪の踏み跡が凍っていて歩きにくい。随神門から杉並木に入ると、時折、上から雪が落ちてくる。
最奥にある九頭龍社と奥社で参拝を済ませ、杉並木を戻る途中で鏡池経由のコースをたどった一行と出会う。そのままバスに戻り、一行の到着を待って帰路に。途中、戸隠祖山の入浴施設に立ち寄り、雪道歩きで冷え切った体を温めた。
(2015年12月12日号掲載)
=写真1=一之鳥居先の古道で、丁石の説明を聞く参加者
=写真2=随神門の先に続く杉並木