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05 全日本で優勝 ~惨敗から切り替える 競技人生きっかけに~

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 3年生の時に迎えた地元・秋田県花輪スキー場での全国高校スキー大会。3キロずつを3人が走る学校対抗のリレーで私は、湯沢北高校(現湯沢翔北高校)のアンカーでした。第1走はトップと55秒差の6位。2走の小野垣宏子さんは得意のピッチ走法で3人を抜いて、私への引き継ぎでは、トップからわずか150メートル差の3位に上げてくれました。

 小野垣さんの「必ず負けるな」の一言を耳にスタートし、前走の仲間の思いも込めて全力を尽くしました。1人抜き、さらにゴール前500メートル地点でトップをとらえて逆転しました。最後は100メートルの差を付けてゴール。そのまま倒れこんでしまいした。

国体で「ぼろ負け」
 柴田女子高(青森)の3連覇を阻むとともに、湯沢北高の5度目の優勝でした。14分59秒のタイムは出場選手の中で最高だったことも聞かされて、後半の苦しみも吹き飛ぶほどの喜びを味わったことを覚えています。

 記者のインタビューに入江種友監督が「作戦通り。高橋(私)をトップに置いていたが、競技直前にアンカーにオーダー変更したのが良かった。3選手とも実力を発揮してくれたが、とりわけ高橋の活躍には頭が下がる」と語ってくれた新聞記事を見た時は、感極まりました。

 そして、意気揚々と出場したのが1週間ほどたって新潟県妙高高原町(現妙高市)などで行われた国民体育大会です。選手宣誓を任されるなど、喜びもつかの間、一気に奈落の底に突き落とされてしまいました。

 吹雪の中、個人戦でまさかの6位。公式記録の訂正で、当初の10位からランクアップして「これで県民の期待に応えることができた」とは話したものの、内心は「ぼろ負けした」でした。

 それでも、入江監督は「全日本選手権にエントリーしているから」と、国体閉会式からわずか数日後の全日本へ、気持ちを切り替えさせてくれました。後日知ったのですが、監督は開催会場の志賀高原(山ノ内町)は、コースに私の苦手な下りが少なく、ここで全日本の1位をつかめる感触をつかんでいたようなのです。

志賀高原が追い風に
 そして迎えた全日本のリレー(5.7キロずつ3人)です。第1走者の小野垣さんが、社会人の強豪選手に1分21秒の差をつけてトップで、2走の私につないでくれたのです。

 入江監督のもくろみ通り、私に合ったコース設定が気持ちよく滑らせてくれました。当時の新聞には「気圧が低く、息が苦しかった。コース後半に移る6関門付近の上りが勝負どころと思っていたので、前半を楽に飛ばしたのが良かった」と、私が話した記事が載りました。国体の惨敗を忘れさせてくれる30分35秒の最高タイムでした。

 アンカーの1年生、杉原美保さんも頑張ってくれました。皆の力強い滑りで追走する社会人の強豪チームを退け、湯沢北高が全日本で初めて栄冠を獲得しました。

 まさしく「志賀高原の追い風が吹いていた」大会でした。スキー・クロスカントリーの本格的な競技人生を歩んでいくきっかけにもなった全日本選手権でした。
(聞き書き・塚田裕文)
(2016年1月1日号掲載)

=写真=全日本選手権に出場、志賀高原で仲間たちと(前列左が私)
 
千葉弘子さん