記事カテゴリ:

06 10キロも優勝 ~大会初の高校生覇者 競技続行で市役所へ~

06-chiba-0109p2.jpg
 秋田県湯沢北高校(現湯沢翔北高校)3年生の時に出場した全日本選手権。ノルディック2日目のクロスカントリー・リレーで初優勝しましたが、その3日後の10キロで、再び周囲を驚かすことになりました。

 スタート時、気温3度、晴れという好条件でした。入江種友監督の指示通り、後半7キロ過ぎのスパートに備えて、前半は抑え気味に滑り出しました。

 徐々にペースを上げ、4キロ地点でトップに立ちました。さらに、ベンチのワックステクニックにも助けられ、後半の勝負どころの苦しい上り坂もしっかり滑り切りゴール。優勝しました。精根尽き果て、ゴール直後は雪上に倒れこんでしまい、当時の新聞によると、私は「リレーのほうがずっと気楽だった」と振り返っていました。

 パレードに母の姿
 落ち着いてくると、大会史上初の高校生覇者になるとともに、新潟県勢の6年連続優勝を阻んでの初優勝でもあり、万感がこみ上げてきました。

 また、入江監督の「秋田県には、高度差のあるスキー場がないため、山形県の蔵王まで行って合宿した。高橋(私)、小野垣宏子らが卒業するので、来年から心配です」と話した記事が新聞に掲載されていました。私も「これで高校3年間の競技全てが終わったと思うと、寂しい」と、しんみりとしたコメントを記者に答えたことを覚えています。

06-chiba-0109p1.jpg
 競技終了後、宿泊先の旅館に帰ると、多くの祝電が届いていました。また、翌日の地元紙を含め、全国紙でも大きく取り上げられていたのを目の当たりにして、あらためて「すごいことをしたのだ」と実感しました。

 3日後に湯沢駅に帰りました。優勝報告会会場が設営された駅前は、大勢の人であふれかえっていました。後日、その時の様子が撮影された写真を見て驚いたのですが、駅舎の柱の陰で隠れるように見ていた母が写っていました。

 市長に声掛けられる
 駅前から、湯沢北高校まで優勝パレードをさせていただきました。ブラスバンドの前に立ち、列を先導してくれたのが、山田中学時代に教えていただいた生徒会と、英語の先生でした。

 本当に人のご縁を感じましたが、振り返れば、私の人生は多くの方々のご縁で助けられてきたと思っています。

 高校の商業科に進んだこともあり、卒業後はクロスカントリーに一区切りつけようと、銀行に就職が決まっていました。ところが、高校での祝勝会で、当時の菅圭一郎市長から「市役所に入れば、スキーを続けさせてあげる」と、直接声を掛けていただきました。

 そして、秋田国体の年でもあった1961(昭和36)年の春、湯沢市役所国体事務局に勤務することになりました。

 クロスカントリー選手として本格的な活動をさせてくれるきっかけとなった全日本選手権の会場が志賀高原ということで、長野県との深いご縁につながったと思っています。
(2016年1月9日号掲載)


=写真上=優勝した全日本選手権10キロで
=写真下=賞状を手に優勝パレード
 
千葉弘子さん