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072 ロワール古城巡り ブロワ城 ~城建築様式の3時代を表す~

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 ロワール川左岸を車で走ると、明るいグレーの屋根が並ぶ美しいブロワの街が対岸に連なる。サン・ニコラ教会、サンローメール修道院と共に、堂々としたブロワ城が見える。

 ブロワ城は、やや高台にある。過去5世紀にわたって増築が繰り返されたので、バルザックは「三つの異なった建築様式、三つの時代を表している」と言った。「建築様式の博物館」とも呼ばれる。

 まず1500年ころにできたルイ12世棟。城に入ってすぐに目に飛び込んで来るのが、これを造営させた彼の騎馬像だ=写真下。

 ブロワ生まれの彼が国王に即位した1498年から1世紀にわたり王宮になった。彼の紋章のヤマアラシのオマージュが壁面を飾る。この棟は後期ゴシック様式だが、そのころ流行したフランボワイヤン様式が見られる。中央入り口上部に、炎が燃え上がるような装飾を施したものだ。この様式は地元の教会や城に波及していった。

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 10年余り後、フランソワ1世が即位するや、ルネサンス様式に変わっていく。至る所に装飾が施され、フランソワ1世の階段がその初期の傑作だ。

 八角形の螺旋(らせん)階段の手すりにシンボルの「火を噴くトカゲ」のサラマンダーの紋章が刻まれている。「暗黒の中世」と呼ばれ、活気のないフランスの芸術と音楽を、薫り高い文化に変え、今日のフランスの基礎を築いたのは彼だ。

 このフランソワ1世棟の内部で1558年に大事件が起きた。ギーズ公の暗殺である。当時のフランスはカトリックの腐敗によるプロテスタントの台頭、旧教と新教の対立による宗教戦争の様相を呈していた。王の上層部は旧教に属していたが、ユグノーと呼ばれた新教にも比較的、寛容な態度をとっていた。この融和策が裏目に出る。

 新教の勢力拡大に焦った有力貴族ギーズ公が、旧教の代表格として制圧に乗り出した。これへの反発がギーズ公暗殺となる。

 それまで融和策をとっていたアンリ2世亡き後、母で摂政役のカトリーヌ・ド・メデシスは一転して、ユグノー虐殺に加担する。サン・バルテルミの虐殺だ。これが汚点として後世に長く語られる。

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 ブロワ城には、カトリーヌの書斎がある。彫刻をあしらった羽目板が237枚。そこに隠された秘密の戸棚があり、重要文書と共に毒薬が隠されていた。政治の世界の毒々しさを象徴する事実だ。

 この後、ロワール地方はバロア朝と共に寂れて、都はパリへと移る。ルイ14世の絢爛(けんらん)豪華なブルボン王朝となり、舞台はベルサイユ宮殿になっていく。ロワール川沿いの文化に終わりを告げたが、ロワール川は今でも美しい街並みの間をとうとうと流れている。
(2016年1月9日号掲載)

=写真=ロワール川の対岸から見るブロワ城
 
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