
正月とっちゃ
正月とっちゃ よいもんだ
氷のような 餅たべて
雪のような まんまくって
てんきぱんきと 羽根ついて
お正月ぁ よいもんだ
◇
待ち遠しいお正月だった。あと2、3日後に迫っていても、まだ1週間も10日も先のように思え、じれったくてならなかった。
どうしてそれほどまで正月が楽しみだったのか...。子供のころを振り返って心当たりが二つある。
一つは正月三が日にかぎり、手伝いを言いつけられる心配もなく存分に遊ぶことができた。もう一つは、特別のごちそうにありつけた。たっぷり遊べ、おいしいものも食べられる―。となれば、待ち遠しくて当然だろう。

子供の手伝いが一家の労働力の一翼を担い、乏しい食べ物を大人も子供も分け合っていた時代の、貧しいながらも心満たされる正月であった。まさに羽根つき歌「正月とっちゃ」で歌われた世界が、今ありありと浮かぶ。
正月というものはいいもんだ。氷のようにすべすべ滑らかな餅を食べられる。ご飯は雪のように白い。羽子板で羽根つき遊びをするのも楽しい。お正月はよいものだ。
平成の今日、こんなにいじらしい歌と出合ったのは、明治・大正・昭和初期、子供たちが口ずさんだ歌を採集した「日本のわらべ歌全集13長野 岐阜のわらべ歌」(柳原書店)のページをめくっている時だった。
採録された場所は茅野市だ。さらに手掛かりを求めて1988(昭和63)年発行の「茅野市史 下巻」を開くと、こう記録されている。
〈正月とっちゃよいもんだ/油のような酒のんで/氷のような餅食って/雪のような飯食って/てーんきぱーんきと羽根ついた〉

隣の諏訪郡原村「原村誌 下巻」では〈正月とっちゃぁよいもんだ/めめずのようなそば食べて〉と始まる。雪のような、氷のような...と同様に続いていく。
凧(たこ)揚げ、こま回しをはじめ子供の遊びは、全国ほぼ共通している。だから遊びながら歌うわらべ歌も、同工異曲のものが多い。「正月とっちゃ」がそのことを物語っている。
羽根つき、つまり追羽根(おいばね)は、男子の凧揚げと並ぶ女子の代表的な正月遊びだった。ムクロジの実に鳥の羽根をはめ込んだ羽子(はね)を、長方形の薄い羽子板でバドミントンのごとく、2人向き合って打ち合う。
〈大空に羽子の白妙(しろたえ)とどまれり〉
近代俳句の大御所、高浜虚子の一句だ。パキッと響かせて打ち上げられた羽子が、ひらひら舞い上がって一瞬、青空にとどまったように映える。どこか夢を感じさせる光景だ。
茅野市街地からは、北東に蓼科山や八ケ岳連峰が雪を頂き輝いて見える。じっと眺めるうちに新年への希望が膨らんできた。
〔ムクロジ〕本州中部から四国、九州の山地に生える落葉高木。淡緑色の小さな花を咲かせ、円い果実は熟すと黄色になり、中に堅くて黒い種子を1個宿す。これが羽根つきの球に使われる。
(2016年1月1日号掲載)
=写真1=八ヶ岳に抱かれた茅野市街地
=写真2=ムクロジの羽子(かの よしこ)