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09 世界選手権へ ~現地で調整を重ねる パンが合わずに苦労~

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 1966年世界選手権の日本選手団には、6年後の札幌五輪で「日の丸飛行隊」とたたえられ、日本中を沸かせた70メートル級ジャンプ金メダリストの笠谷幸生さんがいました。当時は明治大の学生ながら、既に64年のオーストリア・インスブルック大会を経験している五輪の先輩でした。

 さらに、65年の全日本選手権クロスカントリー三冠王の佐藤和男さん、ユニバーシアード複合3位に入賞した藤沢隆さんなど、実力者がそろい、私がメンバーの一人に選ばれたのは光栄なことでした。

 当時の新聞でも振り返りましたが、高校入学後にクロスカントリーを始めた私が、ここまで成長できたのは、湯沢北高校(現・湯沢翔北高校)スキー部の入江種友監督の指導があったからです。

 1カ月以上前に出発 
 「もしバラなら、花は咲かない。バラにはトゲがあるように、もし咲かすとしたら、いばらの道を歩まなければならない。強くなるためには、他人より多く努力すること。やがて、それが報いられる」という言葉が教えでした。

 通学でも足腰を鍛え、ストックワークを安定させるように、利き腕でない左腕を強くするために日頃の生活の中でも、意識して右腕を使わないように―と指示されました。

 ですから、練習は厳しかったですね。思い起こせばこんなことがありました。インターハイが迫ってきても、雪が降らない年がありました。その時は体育館の床をスキーで直(じか)に滑りました。雪を求めて山形県蔵王に練習に出掛けた時は、朝6時から12時間滑らされました。皆疲れ果て、泣き出す仲間もいました。

 生活態度についても厳しく指導されました。例えば、大会へ移動する際に乗った汽車を降りる時は、必ず部員皆で座席の掃除をしました。とにかく心身共に鍛えられたことが、今に生きていると思います。

 66年は世界選手権を前に、1月初旬には開催地のノルウェーに向けて出発しました。練習はもちろん、各地区の大会に参加して、本番に備えるためです。ユービックで11日間の合宿をし、フィンランド・コボラーでの大会に出場しました。私にとっては海外大会の初参加でしたが、5キロで4位と、まずまずの記録でした。その後、多くのレースを経験しながら調整。ノルウェー・トロンハイム大会に出場して、1週間後の世界選手権を待ちました。

 うれしかった白米
 海外の長期遠征で一番苦労したのが、食事でした。トナカイの肉など、北欧特有の料理は問題がなかったのですが、主食に出されたパンが、最後まで口に合いませんでした。代わりに食べたのが、現地で取れるキュウリです。日本のキュウリと比べて大ぶりですが、種もなく塩漬けにぴったりで、ポリポリと口にしていました。

 また、日本の応援団からお米の差し入れが届いたこともありました。久しぶりの白米はうれしかったですね。キュウリを食べている時もそうでしたが、「私は農家の娘だ」ということをあらためて実感させられました。

 そして、2月17日、ノルウェー・オスロのホルメンコーレンで世界選手権が開幕しました。私が出場する10キロは19日、5キロは23日でした。
(聞き書き・塚田裕文)
(2016年1月30日号掲載)


=写真=世界選手権で五輪金メダリストのクラウディア・ボヤルスキフ選手(当時ソ連)=右=と
 
千葉弘子さん