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10 ノルウェーで ~本場の雰囲気にふれ 悔しさよりも充足感~

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 ノルウェー・オスロで行われた1966年の世界選手権に、日本の女子選手として初めて出場しました。10キロと5キロはともに入賞を逃したものの、10キロは41分25秒、15キロは1キロ4分の壁を破るペースで滑り、それぞれ自己最高をマークすることができました。

 ただ、10キロでインスブルック五輪の金メダリストクラウディア・ボヤルスキフ選手(当時ソ連)が36分台前半という圧倒的な速さで制するなど、あらためて世界のレベルの高さを痛感しました。

 この大会では、世界の舞台の雰囲気や状況に直接ふれることができ、ある意味、結果の悔しさよりも大きな充足感を得られました。

 スキーが生活に密着
 というのは、クロスカントリースキーの本場・北欧で、本当に多くのことを学ばせてもらったからです。最初に感じたのは、スキーが人々の生活に密着していることです。家族みんなで、スキーツアーを楽しみ、私たちが練習しているコースと同じ場所を滑っているのです。

 また、まだ小学校に行っていないような小さな子どもたちが地元のクラブに入り、ストックを持たずにクロスカントリーの走法をしっかり学んでいました。

 30歳過ぎのママさん選手も多く、積極的に大会に参加していました。周囲の理解があってこそですし、競技に親しむ土壌が、底辺からしっかりでき上がっていることを実感しました。

 それを裏付ける光景を、レースで目撃しました。男子リレーの時でした。1位でスタートしたノルウェーのアンカーは途中で追い抜かれました。

 しかし、2位で最終コースに顔を見せた途端、会場を埋め尽くした地元のファンから大声援が沸き起こりました。これが後押しになり、ゴール寸前で抜き返し、見事な逆転優勝を飾ったのです。この熱気が、ノルウェー選手の闘志を振り絞らせたのだと感じました。

 国技のスキーを楽しみながらも、大切にするという感情もそうですが、しっかり整備された設備も含め、当時の日本は全ての面において、及んでいないなと思いました。

 世界選手権に臨むに当たり、オフシーズンでのロードレースをそれまでの1日12キロから、残り5キロのインターバール走をプラスして17キロに増やすなど、上位入賞を目指してきたのはもちろんです。

 経験が大きな財産に
 実はもう一つ「こうしてきたい」という夢がありました。それは、見たことのない外国勢の走りや国際大会の雰囲気など、質の高い良いものを何でもがめつく学ぶことでした。

 私がノルウェーに来ている時、地元の秋田県湯沢は第2回全県高校スキー大会や、インターハイが行われるなど、忙しいさなかでした。それでも役員の私を快く送り出してくれたことへの恩返しをしたい―という気持ちが強かったからです。吸収してきたことを全て伝えたかったのです。

 左胸に鮮やかな日の丸が付いたブレザーコートを着て帰国しました。当時、記者に「あの栄光のレースは、生涯忘れません」と話しましたが、さまざまな経験が大きな財産として、私の中に植え付けられたことは間違いありません。そして、指導者もしてみたいという新たな芽が出始めました。
(聞き書き・塚田裕文)
(2016年2月6日号掲載)


=写真=オスロで行われた世界選手権に出場
 
千葉弘子さん