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102 小谷温泉 ~心まで温まる安らぎたたえ~

小谷温泉
ごろりごろりごろり
石臼に夜があける

豆腐が山のつめたい水に
ざぶんざぶんととびこむ
     
田中冬二

  ◇

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 12月に入ったばかりなのに、降り出した雪が勢いを増す。信越県境に位置する雨飾山(1963メートル)の麓、北安曇郡小谷村の小谷温泉へ向かう途中だった。

 姫川沿いの国道から谷あいの上り坂に入るや、雪はいよいよ激しく、路面の積雪も刻々深くなる。友人の運転する車はノロノロ運転を余儀なくされ、小谷温泉を間近にして新雪の深みにはまる。もう動けない。駆けつけた救援の車に移り、ようやくたどり着いた。

 翌朝は、からりと晴れている。一面の雪景色の中、庭に出て出合ったのが、田中冬二の詩碑だ=写真。繰り返し目で追い、口ずさんでみる。

 ゴローリ...ゴローリ...ゴローリ。粉をひく重い石臼の鈍い響き。ザブン...ザブン。

 谷川からの澄んだ冷水に浮かぶ自家製豆腐の白さ。ふんわりと、すがすがしく、何か温かいものに満たされた。

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 昭和の叙情詩人田中冬二は、1928(昭和3)年7月、東京から糸魚川へ抜ける旅の途中、小谷温泉の山田旅館に1泊している。その折の体験を織り込んだ詩が「小谷温泉」である。

 1894(明治27)年10月13日、銀行員の父の赴任地、福島市で生まれた。本名吉之助。父親の吉次郎は現在の富山県黒部市生地(いくじ)の出身であり、祖父母も暮らしている。だから冬二は父祖の地、北陸に強い郷愁を抱くのだった。

 ところで、詩碑に関心を寄せたことが山田旅館に伝わると、ありがたくも「詩碑 小谷温泉」と題した冊子を手渡してくれた。大町市の詩人北沢勝二さんが晩年の冬二に面談するなどして、詳細に小谷の旅を再現した労作だ。

 年譜と照合しつつ読み進めば、父親と同じく東京の銀行員となって16年目、34歳の時だった。土曜勤務が半日となり、時間に余裕が生じる。そこで念願の千国街道経由の北陸旅行に踏み切った。

 夜行列車で松本駅に着き、大糸線で大町へ。白馬行きのバス、タクシーを乗り継いで小谷村の下里瀬に降り立った。ここからは歩くほかない。馬の背で米俵を運ぶ馬子に案内されながら、はるばる宿に入った。

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 夜通しの長い道中に疲れ、ぐっすり寝込む。明け方になり、階下から届いてきたのが石臼の音だった。詩人としてはまだ駆け出しの冬二の旅情が、穏やかに熟成していった。

 こうして銀行員と詩人の二足のわらじ人生が本格化する。11年後の昭和14年には、安田銀行長野支店副長として着任し、長野商業高校近くの妻科で3年ほど過ごした。

 優しく平明、細やかな叙情性あふれる詩境を切り開いたのは、まさにこの時期であった。

 〔千国街道〕松本から糸魚川に至る約120㌔。いわゆる塩の道であり、日本海側と内陸信州を結ぶ重要な交易の道だった。松本街道、糸魚川街道、越後道、仁科街道などの呼称がある。
(2016年2月20日号掲載)

=写真1=冬の小谷温泉山田旅館
 
愛と感動の信濃路詩紀行