
放映中(2016年2月現在)のNHK大河ドラマ「真田丸」に登場する「岩櫃(いわびつ)城」に興味が湧き、出掛けてみた。
真田家の本拠である上田市から鳥居峠を越え、浅間山と四阿山の麓に広がるなだらかな高原を下ると、南北に山並みが立ちはだかる。東に延びる尾根の最突端が岩櫃山で、その中腹に岩櫃城は造られた。場所は群馬県吾妻郡東吾妻町。室町時代初期の築城といわれ、上田、沼田、渋川から至る三差路・中之条を一望できる。とりわけ戦国時代は軍事上、重要な場所だった。

真田昌幸の父・幸隆は武田信玄の命で同城を攻略。真田は吾妻郡の守護となった。その後、武田家滅亡や織田信長の死(本能寺の変)により勢力は一変。沼田や東信地方は徳川、北条の争奪の地となった。そのはざまで昌幸は岩櫃や沼田を確保し続け、長男・信之(信幸)を岩櫃城主に命じたこともあった。
岩櫃城跡行きは、鳥居峠を越えるバスがないため、しなの鉄道で中軽井沢駅まで、そこから西武高原バスで万座・鹿沢口まで行き、JR吾妻線に乗り継いだ。特急を使ったり、待ち合わせで30分待ったりと、なかなか道のりは遠い。7時21分に長野を出発し、目的地の郷原駅に着いたのが11時35分。料金は少々高いが新幹線で高崎まで行き、そこから高崎線~吾妻線に乗り継いだ方が早く到着できる。
駅からは岩櫃山の断崖が見える。古い家並みを抜けしばらく歩くと突然道路が途絶えた。その奥から、真田道と呼ばれる山道が始まる。ひとりで歩くには心もとない。クマよけの鈴も必須だろう。駅から50分ほど歩き、北東斜面の開けた場所へ着いた。案内所には岩櫃城のパンフレットがある。史跡や歴史を確認しながら散策ができる。軽装の人、登山姿の人それぞれ。中高年の夫婦が目立ち、中には若い女性(歴女?)の姿もあった。

整備された山道に入ると、土塁の跡が見えてきた。やがて中城跡が開け、さらに坂を上ると、急斜面に幾重も重なる土塁が目の前に迫った。竪堀(たてぼり)と呼ばれる、敵の侵入を防ぐ空堀だ。眼下には吾妻川が小さく見える。
竪堀の横を上り切った平らな場所が本丸跡=写真下。今は杉林が目の前を覆っているが、東方向に中之条の町が見下ろせる。北と南は谷底、西は断崖の山。まさに要害の地だ。
奥に岩櫃山へ続く道があったので立ち入ってみたが、突然雰囲気が変わった。すぐ横が断崖で、道幅が約50センチの場所もあるという。来たついでに―と、運動靴程度で安易に登ってはいけない。雪や凍結の危険から、東吾妻町は3月末まで岩櫃山登山の自粛を呼び掛けている。

山道を引き返して山の南側へ回る(かなりハード)。郷原駅近くの登山口を右に入ると、岩櫃山の断崖が目の前に迫ってきた。長野市民なら戸隠山を連想するだろう。歩くこと20分。昌幸が敗走する武田勝頼を迎えるために造ったという御殿(潜龍院)の跡に着いた。周囲は林に囲まれ、外からは見えない。万が一の時には隣の郷原城に逃げ、さらに岩櫃城へも通じる。勝頼と2歳違いの昌幸。岩櫃山の断崖を背にした広い空間に、勝頼を迎えられなかった昌幸の無念に思いをはせた。(写真=杉林に囲まれた広い敷地に潜龍院の石座が残る。外からこの場所が分からないところに昌幸の配慮が感じられる)
吾妻地方は、春は新緑、秋は紅葉が絶景だ。温泉も点在する。ドライブなら吾妻峡~岩櫃~沼田と巡るのがいいだろう。
(森山広之)
(2016年2月13日号掲載)