
どこかで春が
百田宗治作詞
草川 信作曲
どこかで「春」が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀(ひばり)が 啼(な)いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月 東風(こち)吹いて
どこかで「春」が 生まれてる
◇
雪の残る土手を歩いて靴が滑った。むき出しになった枯れ草の間に、ごく小さいながらも淡く薄紫色を帯びたものがキラッと光る。かがんでのぞき込めば、オオイヌノフグリの花のつぼみである。
高浜虚子は〈犬ふぐり星のまたたく如くなり〉と詠んだ。そんな真っ盛りの春に先立つこと2カ月ほど。雪の下でじっと土手一面、るり色に染める日に備えている。そう気付き、けなげな生命力に触れた喜びが増してきた。

確かに春はどこかで生まれている。冬至のころよりずっと昼が長くなった。湖や池の氷が消え、波が立つ。コハクチョウなど冬鳥が北へ渡る。地中では虫たちがうごめき出した。
庭のモクレンがビロードをまとったような芽を一斉に北へ向けている。日当たりの良い南側の部分の成長が促され、弓なりに反る現象で、コブシやタムシバなどとともに方向指標植物、コンパスプラントと呼ばれる。
ひそやかな春の兆しが、あちこちで何かの拍子に感じ取れる。冬から抜け出る時季の微妙な変化を「どこかで春が」は詩情たっぷりにとらえた。
作詞者の百田宗治は1893(明治26)年、大阪市西区に生まれた詩人で児童文学者。学歴こそ小学校卒ながらも自ら学ぶ努力を積み、人道主義に根ざす民衆派詩人として世に出た。つつましく自然と交感できた人だ。
作曲者の草川信は信州生まれの信州育ちである。長野市の中心部、県町の生家で幼少年期を過ごした。一家の暮らしと共にあった大きな柿の木に登って遊ぶ。草花の彩る用水に沿ってさかのぼれば、裾花川に達し、白岩あたりで泳ぐこともできた。

自然の中で磨かれた感性が、1923(大正12)年3月に百田の発表した歌詞と合体し、「どこかで春が」の1曲に仕上がった。4・3・5 4・3・5のゆったり心地よいリズムが何より人を引き寄せる。
そして一転〈山の三月 東風吹いて〉。高く強い調子に変わり、春の訪れを体で受け止める高揚感が盛り上がっていく。「早春賦」「春が来た」と並び、広く親しまれる名曲だ。
ところで、この〈東風吹いて〉の東風が難解な用語とされ、「春風」「そよ風」に言い換えられる場合がある。冬の眠りから目覚めさせる風の用語としては、〈こち吹かばにほひおこせよ梅の花...〉の古歌がある通り、やはり「東風」のままが,よいのではないだろうか。
〔東風〕春先に東から吹き寄せる風。冬の北風、夏の南風と同様、それぞれの季節を象徴する。そよ風というよりは、やや荒い感じを伴う。さらに強まれば「強東風(つよごち)」と称する。
(2016年3月5日号掲載)
=写真=氷が解けて輝く野尻湖
=写真=茶臼山恐竜公園にある「どこかで春が」の歌碑