
安曇節
寄れや寄ってこい 安曇の踊り
田から町から 田から町から 野山から
(返し)
野山から 野山から チョコサイコラコイ
◇
数ある歌詞の中でも、音頭取りが最初に歌いだすのは、この「寄れや寄ってこい...」と決まっている。さあ皆さん、こっちに集まり、歌って踊って楽しもう―。そんな呼び掛けだ。
これに応えて田や畑、野山で働いていた農民が、続々と踊りの輪に加わる。当初は〈田から畑から〉だった。工場の労働者など勤め人の参加も多くなり、今は〈田から町から〉に改められている。
この変幻自在ぶりが、安曇節の特色の一つといっていい。好んで歌われる人気の歌詞が幾つかある。
何か思案の 有明山に
小首かしげて 出たわらび

枯れ草の間から顔を出すワラビは先端が曲がり、小首をかしげて考え事をしているようにも見える。繊細な感覚で味わい深い。
対照的に、大ぶりの魅力があふれる詞も少なくない。
日本アルプス どの山見ても
冬の姿で 夏となる
頂に雪をかぶったまま夏を迎える山岳の勇壮な遠望である。
北安曇郡松川村は安曇節の故郷だ。村教育委員会が2009(平成21)年に発行した「精選安曇節集」を開いて驚いた。1500首もの歌詞が掲載されている。精選、特に良いものを選び出した結果が、これだけの数に上る。
安曇節の登場は1923(大正12)年だった。村の医師、榛葉太生(しんはふとう、1883~1962年)が地域に伝わる民謡の衰退を憂え、田植え・草取り唄やチョコサイ節などの伝統を踏まえながら新民謡を創作、発表している。
しかも、作詞の方法が素晴らしかった。自分でも作ってはいるけれども、主体は近在の住民に働きかけ、素人の純朴な発想を掘り起こすことだった。
安曇節を分解してみれば、7・7・7・5の26文字で構成されていることが分かる。5・7・5の俳句17文字では、思いを込めるのが難しい。5・7・5・7・7の短歌31文字では使いこなしにくい。気安く詩にできるスタイルとして26文字が採用されたのだった。
これによって作詞とは縁のなかった人たちの眠っていた詩心が一気に開花する。句会や歌会と同じように、グループごとに作品を持ち寄り、吟味し合う方法が確立していった。一種の文芸運動である。
槍で別れた梓と高瀬
めぐり逢うのが 押野崎
槍ヶ岳に降った雨が南側は梓川に、北側は高瀬川になって別々に流れ下り、結局は押野崎で合流する。雄大な自然現象を田畑で働く野の詩人が、ロマンチックに詠んでみせた。
地域の秘める潜在能力の高さ―。これを安曇節が立証している。
〔安曇平と安曇野〕松本平の北西部は、かつて安曇平と呼ばれた。地元出身の評論家・小説家臼井吉見の大河小説「安曇野」がヒットして以来、安曇野の呼称が一般的になった。
(2016年4月2日号掲載)
=写真1=春先の安曇野
=写真2=松川村の「安曇節」歌碑