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21 県教育委員 貴重な経験を重ねる 憧れていた先生にも 

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 1998年長野冬季五輪開催が決定して、市内、県内でさまざまな準備が徐々に進められていきました。長野新幹線も97年10月に開業しました。その3年前に県教育委員として務めさせていただくことになったのです。

 県議会の同意を得て知事(当時は故吉村午良さん)が5人の委員を任命するわけですが、県内のスポーツ界から女性の委員が就くのは初めてだったようです。

 委員の構成は、首長さんや会社の社長などいろいろな方々でした。毎月1、2回行われる定例会や、臨時会のほか、関東甲信越の1都9県の会議がありました。そこでよく言われたのが「長野県の教育委員の人選はバランスが取れていてうらやましい」ということでした。

2期8年務める
 私は、主にスポーツを担当していましたが、うれしさと共に、長野県代表の一人として、誇りに思いました。
 長野五輪の招致委員でもあることから「オリンピックと私」といった講演もしました。県内外の視察でさまざまなことを見聞きし、多くの貴重な経験をさせてもらいました。

 教育委員に選ばれた時は、「えらいことを引き受けてしまった」と後悔の思いが強かったのですが、あっという間に、1期4年の任期が過ぎました。当時の吉村知事から再任したいということを言われましたので、快く引き受けました。県議会からも同意を得て、通算2期8年間、教育委員を続けました。

 また、教育委員に就いた翌年の95年には、信大教育学部に新設された生涯スポーツ課程の講師として、教壇にも立ちました。市民参加型スポーツも含めたスポーツ指導者を養成する課程です。秋田県湯沢北高校(現湯沢翔北高校)時代から憧れていた学校の先生になれました。1年ほどの任期でしたが、感無量でした。

 ただ、2016年度から生涯スポーツ課程の学生募集が停止され、寂しい限りです。

 教育行政に関わってきて感じたことは、私の子どもの頃と違い、情報があふれているということでした。手を伸ばせば、簡単に入手できます。昔は、先生の一言一句が私にとっての情報源でしたから、がむしゃらにスキーに打ち込むことができました。また、結果以上にプロセスの大切さも教わりました。

家庭教育が大切
 周囲の環境はだいぶ変わりました。今の子どもたちは、あり余る情報の良しあしを自ら分別しなくてはいけなくなりました。そんな時に大切なのが、家庭での教育です。これは、昔から変わらない本当に重要な部分だと思います。

 13人半兄弟の12番目に生まれた私は、おてんばで、友達を引き連れて畑や山の中を駆けずり回り、秋には稲刈りのお手伝いをしました。高校1年の時に父が病気で他界しましたが、母がしっかり面倒を見てくれ、無事に高校を卒業。思い出が詰まった24歳の社会人まで、育ててくれたのは秋田県でした。

 29歳で北野建設に入社し、長野五輪招致委員や県教育委員に就任し、信大の講師時代を務めると、故郷に住んでいた時以上の年月を、長野県の地で生活しています。気が付けば、信濃の人になりきっていました。
(聞き書き・塚田裕文)
(2016年4月23日号掲載)

=写真=県教育委員の視察で=1998年10月
 
千葉弘子さん