
春の安曇野を歩きたくなり、安曇野市穂高を訪ねた。
松本からJR大糸線に乗る。大糸線の松本―信濃大町間は大正時代、私鉄「信濃鉄道」として開通。戦前に国有化され、今はJR東日本が運行する。
電車は松本を出ると、奈良井川、梓川を越え、安曇野に入る。西側の車窓は、田んぼと家並みの向こうに山が立ち上がり、雪をかぶった北アルプスがまぶしい。田にはまだ水が入っていないが、時折見える麦が植えられた区画では、10センチほどに伸びた葉の緑が鮮やかだ。
穂高の1つ手前の柏矢町で降りた。通りを東へ歩き、国道147号を越えると、万水(よろずい)川沿いにワサビ畑が見えてくる。

「穂高町誌」によると、「穂高のワサビ」は明治初め、それまで広がっていた梨畑の排水溝にワサビを植えたのが始まり。地下に浸透した北アの雪解け水が湧き出す土地の条件に合った。東京や名古屋の市場で高値が付くようになり、梨畑はワサビ畑に転換されていった。
万水川や穂高川の近くには、そこここに水路が走る。透き通った水の底に、水草がなびくのが見える。水路に沿って、合成樹脂の波板で囲ったワサビ畑や、ニジマスの養殖池が点在する。ワサビは白い花を付け始めていた。
万水川沿いには、未舗装の土手道が約2キロ続く。聞こえるのは、瀬音と野鳥の声だけ。気持ちがいい。途中、「吉永小百合さん撮影地」と書かれた木の看板が立っていた。JR東日本「大人の休日倶楽部」のCMロケが行われたという。
穂高川沿いの土手にある早春賦歌碑や桜並木を見ながら、穂高中心街まで歩く。中心街は千国(ちくに)道の宿場町。大正期、鉄道開通と養蚕で一大商業地となった。現在は国道の裏通りとなったが、往時の繁栄をほうふつとさせる古い塗り壁の建物が残る。
近くに、穂高で私塾「研成義塾」を主宰した井口喜源治(1870~1938年)を顕彰する記念館があった。キリスト教に基づく「自由と独立」の教育を34年間、ほとんど1人で行い、日本近代彫刻の先駆者・荻原碌山、自由主義の言論人・清沢洌らを輩出した。館長が熱心に解説してくれる。

穂高神社は「小遷宮」の年。20年ごとに本殿を造り替える大遷宮の間に2回行われ、歴史や神話の場面などを大がかりな伝統人形群で表現した「穂高人形大飾り物」が奉納される。今回は5月1日(日)から15日(日)まで、大河ドラマ「真田丸」など5場面が飾られるという。
(竹内大介)
(2016年4月9日号掲載)
=写真=穂高川近くの水路とワサビ畑(上)/古い商家の建物が残る中心街(下)