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107 上田周遊唱歌 ~真田一族の足跡生き生きと~

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上田周遊唱歌
宮川鶯渓作詞
北村季晴作曲

憶(おも)へばむかし幸村が
六文銭の旗かぜに
徳川勢を悩ませし
名残はこゝよ上田城

砦の石は苔むして
櫓彩る蔦青く
昔ながらの古杉に
訪なふ風の声涼し

    ◇

 しなの鉄道の電車が長野方面から上田駅に入る直前、左手のビルの間に城跡が見え隠れする。がけの上の櫓が目立つ上田城だ。

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 平日の午前というのに、がけ下の広い駐車場は、マイカーや観光バスで埋まっている。公園として整備された城内に入ると、本丸跡、それを囲む堀と土塁、城門の石垣にはめ込まれた巨大な真田石など見どころ周辺は、人波が絶えない。

 NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台となった効果だ。戦国の武将真田昌幸が1583(天正11)年に築き、徳川の大軍を2度にわたって撃退した史話が人を引きつけてやまない。

 ここから北東へ直線で7、8キロ、真田氏発祥の地とされる真田地区にも、ひっきりなしに観光客が訪れる。上田城に移る前までの拠点だった屋敷跡、ほぼ中心部の小高い山頂に土塁を巡らせた真田氏本城跡などだ。

 緩やかな丘の頂は南に開け、眼下に真田の田園、続く上田市街地を展望できる。ドラマのロケ地にもなったので、登ってきた人たちは「確かにここだ」などと言葉を交わしながら景色を楽しんでいた。

 そんな光景を眺めながら、あらためて「上田周遊唱歌」の歌詞が巧みに構成されていることに感心した。5番にはこうある。

土手の木陰に佇(たたず)めば
南に見ゆる千曲川
虹かとばかり上田橋
懸れる上を馬車ぞ行く

 橋を渡っていくのは自動車でも電車でもない。馬車だ。
 この歌ができたのは1908(明治41)年10月だ。当時「地理歴史唱歌」と称する歌が盛んにつくられている。東海道線が新橋―神戸間に全通し、明治33年に〈汽笛一声新橋を〉で始まる「鉄道唱歌」が誕生して以降である。

 鉄道沿線、あるいは地域ごとに、名所旧跡や風物を歌詞に織り込み、延々と歌い巡っていく方式だ。県単位もあれば郡単位もある。市町村内を対象とする例が「上田周遊唱歌」である。

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 学校、寺社、役所はじめ目抜き通り、製糸工場などさまざまなものが登場する。全部で50番まで、県立上田中学校の紹介に続く10番ではこう歌う。

ここは代々藩侯が
館となせし跡とめて
めぐらす堀はいや深く
門も昔のままなれや

 上田城からは東へ500メートル足らず。かつて代々の藩主が屋敷としたところだ。堀も門も昔の面影をとどめつつ、今は上田高校の校門となっている=写真下。

 真田氏の時代からざっと400年、栄光と悲劇の物語は、いまだなお輝いていた。

 〔上田合戦〕戦国時代末、武田の下で力をつけた真田氏が1585(天正13)年と1600(慶長5)年の2回、力で勝る徳川の軍勢を退けた戦い。真田一族の存在が広く知られる契機となる。

(2016年4月30日号掲載)

=写真=がけ下から見上げる上田城
 
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