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108 百瀬慎太郎 ~山と歌とに生きるロマン~

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山を想えば 人恋し
人を想えば 山恋し

    ◇

 わずか2行、16文字ながらも、すぐ眼底に焼き付く。一度聞けば耳の奥から離れない。

 旅館・山小屋経営者にして山岳家、また歌人であった百瀬慎太郎の名句である。多くの人の胸に夢を呼び覚まし、広く親しまれてきた。その魅力は時代を経てなお色あせない。

 慎太郎自身は、56歳で食道がんのため亡くなる。その前年1948(昭
108-utakiko-0521p2.jpg和23)年、エッセー「針ノ木峠雑談」でこうつづっている。

〈山を想えば人恋し、人を想えば山恋し。童謡ならぬ老謡を口ずさみながら、我ながらいつまでも老センチメンタリストを自分に発見するのである〉

 慎太郎にとって山を思うことは、山を通じてかかわった人たちを思うことだった。山にあこがれる人に、あこがれることだった。

 1892(明治25)年12月10日、北安曇郡大町(現・大町市)
八日町の旅館「対山館」に生まれた。日本の近代登山が幕開けしたころ、北アルプスに挑む登山家の拠点となった宿だ。

 大町中学時代、14歳で友人3人と白馬岳に登る。日本山岳会に入会。卒業後、針ノ木峠から黒部への山行。結婚して大町登山案内者組合を結成。1923(大正12)年3月、富山側から大町へ、雪中の立山・針ノ木越えを3週間かけて成功させる。

 山岳界のビッグニュースになって喜びながらも、慎太郎は登山の普及には山小屋の存在が欠かせないことを痛感した。手始めに針ノ木峠への登り口に大沢小屋を建てる。峠には針ノ木小屋だ。

 傍ら島崎藤村やロシアの文豪トルストイの作品に触発された文学への夢も抑え難い。中学を終えた翌年、若山牧水の門に入る。
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何事の涙ぞ四方にそそり立つ雪の群山に向かひて立てば

 代表歌の一首だ。汚れなく真っ白な雪に覆われた山々。荘厳な姿と向かい合うと、言い知れぬ感動に打たれ、つい涙がこぼれ落ちる。

 こんな光景と通じる素晴らしい眺めと出合った。大町市の東、鷹狩山からは、市街地を挟んで対面にアルプスの連山が迫る。

 間近な迫力は圧倒的だ。とりわけ左手の蓮華岳、右手の爺ヶ岳の力強い山体が際立つ。針ノ木は陰に隠れて見えない。JR大糸線の信濃大町駅前に「山を想へば」の碑がある=写真下。促されるように黒部ダムの入り口扇沢駅から大沢小屋を目指した。

 1時間半近くかけて着く。小屋の手前の大きな岩に銅板がはめ込まれている。そこには「山を想えば」の前に1首刻ん
であった。

大沢の小屋の窓辺ゆ爺ヶ嶺の秋ばむ色を見つゝ幾日ぞ

 愛着ひとしおの山小屋で、季節の移ろいに浸る至福の時を過ごしたのだろう。一度も会ったことのない人だけれども、しきりに懐かしさがわいてきた。

 〔立山・針ノ木越え〕安土桃山時代の武将、佐々成政が雪中踏破した逸話で知られる。富山側の常願寺川沿いにたどり、針ノ木峠を越えて大町に至る越中―信州間の最短ルートだった。
(2016年5月21日号掲載)

=写真=大沢小屋脇のレリーフ
 
愛と感動の信濃路詩紀行