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22 選手村副村長 ~1カ月前から常駐 おもてなしで迎える~

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 待望の長野五輪開会式は1998年2月7日に南長野運動公園の五輪スタジアムで、長野冬季パラリンピックの開会式は同年3月5日にエムウェーブで、それぞれ行われました。

 私は、川中島町に設けられた選手村の副村長に任じられ、五輪開幕の1カ月前から常駐することになりました。

 長野五輪には72の国・地域から約3500人、パラリンピックには32カ国から約1200人の選手・役員が参加しました。一部の競技種目を除き、ほとんどの選手、役員が入村する大規模な選手村になりました。警備はもちろん、選手が最高のコンディションを整えられる場所を提供しながら、「長野の思い出をたくさん持って帰ってもらいたい」という思いでいっぱいでした。

入村あいさつに感動
 ですから、準備段階から積極的に参加しました。新たに建設されたビッグハット、ホワイトリング、エムウェーブ、アクアウイング、スパイラルといった各会場のテープカットには全て顔を出しました。

 各国の選手団は同じ日に訪れるわけではないので、到着するたびに入村式を行いました。お茶を出すなどして、皆さんをおもてなしの心でお迎えしました。

 入村式では、今でも忘れられなくて、印象に強く残っている場面がありました。それは、パラリンピックの時でした。ある国の団長さんがあいさつに立たれ、「日出ずる国に来られたことがうれしい」と口にされたのです。日本人の私は思わず感動してしまいました。

 選手村では、五輪の選手たちはぴりぴりした雰囲気でしたが、パラリンピックの選手は、国は違っても同僚という感じで、和やかな雰囲気でした。 

 障害者を対象としたパラリンピックでは最初、選手をどういうふうにお迎えしていいのか、不安でした。しかし、五輪選手村の村長だった笹原正三さんから「例えば、車いすの選手は、階段を下りる時、2、3段残っていても、車いすに座ったまま、飛び降りるくらいだから大丈夫だよ」と、言われて安心したことを覚えています。

 大会期間中は、白馬会場に笹原さんに同行させてもらった以外は、選手村から出ることができませんでした。ですから、開会式の模様や、当時の表彰式会場だったセントラルスクゥエアでのセレモニーの場面などは、テレビで見るだけでした。

ピンバッジブーム
 けれども、テレビに映る顔は、選手村であいさつするなどして、見慣れた顔ばかりでしたので、自然と気持ちが高揚しました。

 市街地ではピンバッジがブームになっていたらしく、限定ピンバッジが販売されたり、交換所がつくられたりして、持ち寄った人でごった返していたようです。選手村にいた私は、多くのピンバッジを入手することも可能だったと思いますが、毎日の業務がとても大変でしたので、興味が湧く余裕はありませんでした。

 ただ、長野市民をはじめ、日本の皆さんも、外国の方々とあいさつや握手をするだけという小さなことでも、五輪を身近に感じる上で、とても大きな交流になったと思います。

 4年に1度しか開かれない世界のスポーツの祭典が、自国の、それも故郷で応援できるのは、奇跡的なことでしたから。
(聞き書き・塚田裕文)
(2016年4月30日号掲載)

=写真=各国の選手団を迎え入村式
 
千葉弘子さん