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23 胃がん手術 ~目の前が真っ暗に 幼稚園で元気もらう~

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 長野を訪れる外国の方とあいさつや握手をするというだけの小さなことでも、五輪を身近に感じることができます。だからこそ、五輪は参加することに意義があると思います。

 1998年長野冬季五輪では、長野市内の小中学校が「一校一国運動」で、一つの学校が一国を応援しながら、その国の選手や駐日大使館員らと交流を深めていました。子どもたちにとって貴重な経験だったと思います。

 選手として参加した72年札幌冬季五輪開会式の入場行進では、時間が止まり、体の中を電流が走ったかのような目まいと震えを感じました。そんな衝撃と感動を、長野の皆さんにも味わってもらいたいという気持ちが、ずっとありました。

人間ドックで診断
 副村長を務めた選手村には、各国を代表する選手が集まっているわけですから、毎日気が張っていました。

 皇太子殿下をはじめ、皇族の皆さまがお見えになられた時は、大変緊張しました。ごあいさつの仕方やお迎えの仕方など、さまざまな決まりごとを、わずかでもミスをしないように必死でした。

 招致から関わった長野五輪をはじめ、県教育委員といった重い役職を務めさせていただいた北野建設社員時代も、あと2年で定年退職という時でした。

 40歳ころから病院で定期的に受けていた人間ドックで、胃がんの疑いがあると診断されたのです。目の前が真っ暗になりました。初期段階と言われましたが、死を覚悟しました。会社の机の引き出しにあったものを全て家に持ち帰って、空っぽにしたくらいです。

 故郷の秋田県湯沢市をはじめ、東京から駆けつけた6人の兄、姉が見守る中、胃の3分の2を切除する手術を受けました。おなかの上に、みぞおちからおへそを迂回(うかい)するように、メスを入れた跡が残っていました。検査も含めて約1カ月の入院期間を経て、退院したのは
、日差しが強いお盆のころでした。

 手術は無事に成功しましたが、気持ちは落ち込んだままでした。やはり、山奥の田舎育ちだったせいでしょうか、自然の空気感、風の香りなどを実際に感じることで、少しだけ気持ちが落ち着いていきました。

誘われて園長就任
 そんな中、北野建設を退職しましたが、また新たな出会いがありました。県内の高校長も務められた三ツ井晋さんが、信学会の昭和幼稚園の園長を辞めるので、次を引き受けてくれないかと、声を掛けてくれたのです。

 私が県教育委員時代に、何度も話をさせていただいた三ツ井さんからの誘いでもあったので、2003年4月に昭和幼稚園の園長に就きました。

 先生はもちろん保護者の皆さんもいい方ばかりでした。子どもたちと過ごすことで、元気をもらい、胃がんのことを忘れるようになっていきました。

 運動会の開会式では、体育の先生が作ったアニメのキャラクターのお面をかぶって、子どもたちを喜ばせました。ほかの行事では、白ドレスを着てあめを配ったり、お猿の格好になったりしました。豆まきでは、秋田の実家から取り寄せたなまはげのお面とミノを身にまとって、子どもたちを泣かせてしまったこともありました。
(聞き書き・塚田裕文)
(2016年5月14日号掲載)

=写真=昭和幼稚園長時代、イベントで仮装した私

 
千葉弘子さん