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24 子どもたちと ~楽しかった幼稚園長 浅川プラザ施設長に~

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 園長を務めた昭和幼稚園では、私よりも先生方が専門で
すから、勉強してきたことを思う存分発揮してもらおうと、いろいろと干渉せずに、後ろから見守ることを心掛けました。

 子どもさんや先生はもちろん、園のご近所にも気をつかいました。昨今騒がれていますが、周囲に住まわれている方を、いろいろな面で大事にすることを忘れないようにしました。

 ですから、何かあると子どもたちを教育してくれました。「子どもたちの元気な声が聞けていいですよ」と言われたことは、今でも強く印象に残っています。

 恒例の餅つき大会では、「孫がお世話になった」と、近所のおじいさんやおばあさんが手伝いにきてくれました。臼やきねを作ってくれた方もいらっしゃいました。本当に、周囲の皆さんが協力してくれたおかげで、楽しくできました。

農家生まれの性分
 餅つきでは、一つだけ心掛けていたことがあります。つく前の蒸し上がったばかりのもち米を、園児のみんなに食べさせることです。餅がもっている本来の風味を味わってほしかったからです。これも、私が秋田の田舎の農家で生まれた性分だと思います。

 そんな楽しい昭和幼稚園園長時代を6年過ごし、定年を迎えることになりました。当初は、園長になることに少し不安がありましたが、一生懸命やらなくてはいけないという私自身の気持ちと、細かく指摘するお母さん方がいらっしゃらなかったことで、6年間務めさせていただくことができたのだと思っています。

 退職して間もなくの2009年4月に、長野市社会福祉協議会の非常勤職員として、「浅川子どもプラザ」の施設長に就くことになりました。

 浅川子どもプラザは、放課後などを利用して、遊びや勉強を通じて、子どもたちにルールなどを身に付けてもらうため、07年に浅川小学校内に設立されました。初代の施設長が土台づくりをされて、軌道に乗り始めたころから、私が2代目として引き継いだというわけです。

 幼稚園児と違って、小学生は行動範囲がとても広くなり、自己主張も強くなっているので大変でした。

 学校では先生が、家に帰ればお父さんやお母さんが目を光らせているので、そのストレスを発散する場所と
して、当初は自由に行動させていました。

指導の難しさを痛感
 けれども、「こうすればけがをしてしまう」ということを知らず、面白がってむちゃをする子どもも現れるようになってしまいました。そんな反省もあり、いけないことはいけないと、はっきりと大きな声を上げるように変えていきました。

 プラザの先生方にも、360度子どもを見回せる位置に立つことと同時に、一緒に遊んであげることで、けがなどを防げると伝えました。ただ、これでも完全には目を行きわたせることができないので、指導の難しさを改めて痛感しました。

 現在、施設長として、プラザが開講する前の朝礼で、「自分がやられたら困ることを相手にやるな」ということを、子どもたちに繰り返し話しています。今は分からなくても、中学生や高校生になった時に思い出してくれればいいと思っています。
(聞き書き・塚田裕文)
(2016年5月21日号掲載)

=写真=子どもたちを見守る(浅川子どもプラザで)

 
千葉弘子さん