
夢を見るような美しい場所という名前に引かれ、5月中旬の日曜日、山仲間4人で新潟県妙高市の「夢見平」に出掛けた。関川を挟んで笹ケ峰牧場の対岸に広がる一帯で、標高1230~40メートル。1996年から99年にかけ、地元のボランティアが遊歩道を整備した。
8時過ぎに長野市内を出発。乙見湖の手前の駐車場に車を置き、10時前に歩き始める。ダムの上から、残雪の焼山(2400メートル)がよく見える。最近火山活動が活発化し、山頂付近から噴煙が上がっている。
ダムを渡り、急な石段を登る。そこから先は平たんになる。最初のミズバショウ群生地・蓑(み)ノ池では花が終わり、水の中に5~6センチもあるクロサンショウウオの卵塊が幾つも浮いていた。

いつもの年なら道の両側をカタクリの花が迎えてくれるはずだが、残骸ばかりだ。少雪の今年、3週間も早く開花したという。
その先の稲荷神社には、樹齢千年ともいわれるミズナラの巨木「神彦」と「道姫」がそそり立つ。さらに進むと水場の「夫婦泉(めおといずみ」があり、のどを潤す。
その先で遊歩道は、夢見平に向かう短距離コースと分岐する。われわれは長距離コースへ。周囲の林相はブナからカラマツ、さらにスギからシラカバへと、次々に変わり飽きさせない。
足元には、カタクリに代わってタチツボスミレのかわいい花が続く。エンレイソウ、サンカヨウ、ツバメオモト、シラネアオイ、フデリンドウ、イワカガミなどの花も次々に現れる。仲間の首元に、かえったばかりの春ゼミが止まった。
遊歩道が林道と合流するところに立派な避難小屋がある。その先が旧高田営林署妙高簡易製材所跡地だ=写真下。簡易とはいうものの、学校や病院、住宅、倉庫、作業場などの跡が残り、トロッコの軌道敷もある。奥深い山中に、これほどの遺構があるのは驚きだ。
現地の看板によると、この付近には古くから原住性の民が住み、明治時代には100人以上が「森の民」として生活。1932(昭和7)年に製材所が建設され、48年に廃所となるまで、100~150人が家族と暮らし、仕事に就いていた―という。

食糧貯蔵庫の跡地で昼食を取り、再び出発。近くには氏神を祭った神社もあった。
その先の「縁結びの木」がユニークだ。ブナとミズナラの2本の木が、途中から寄り添うように接合している。手前にある、パーマのような赤い帽子をかぶせた子抱き地蔵の姿がなまめかしい。
ブナ林の中をさらに進むと、目の前に妙高山の外輪山・三田原山(みたはらやま)(2347メートル)が大きな姿を現す。山裾の新緑が目に染みるようだ。ここが6方向美しいという「六美(むつみ)展望台」だ。
しばらく行ったところにあるミズバショウの群生地・しょうぶ池でも花は終わっていた。
だが、最後に訪れた夢見平で、雄大な三田原山を背にしたミズバショウの花の群落に、ぎりぎり間に合った。緑の中に真っ白な苞(ほう)が点在し、まさに夢見心地のような風景だ。
帰路はズミのトンネルを抜け、清流の橋を渡って再び乙見湖へ。見どころも多く、変化に富んだ山歩きだった。
(2016年5月28日号掲載)
=写真=三田原山をバックに咲くミズバショウ