記事カテゴリ:

04 長野商業高校へ ~初めて農業校以外に 就職先は先生の紹介~ 

04-takemoto-0625p.jpg
 学校がある山の麓から自宅の浅川清水(きよみず)へ行く道は、2つありました。伺去(しゃり)を通る道と真光寺の方を通る道。両方とも夜1人で歩くのは真っ暗で怖かったですね。バスが開通したのは、中学3年生の頃です。

 家の農作業が大変だったにもかかわらず、「中学を卒業したら農業をやりなさい」とは誰も言いませんでした。おそらく私が農業に向いていないと、みんなが思っていたのでしょうね。高校に進学することに何の問題もありませんでした。

 中学3年生の夏休みに、進学教室の夏期講座に参加。中学校まで歩き、そこから自転車で進学教室に通いました。受験勉強も含め、夜8時に寝て朝2時に起き、勉強しました。

学年で10番以内に
 普通校である長野高校への進学は、初めから考えていませんでした。横浜の叔父が東京ガスの電気技師だったことから、長野工業高校の電気科を希望していました。しかし、担任の塚田謹治先生から「間違いなく入れるのは長野商業高校だ」と言われて、長野商業を受験して合格しました。

 その当時、清水から高校に進学した人はまれであり、多くは中学を卒業後、農業に従事していました。進学しても全て農業高校であり、農業高校以外の高校に行ったのは私が初めてです。大学に行くという考えはそもそもなかったですね。

 長野商業高校は6クラスあり、5組と6組は男女共学。私は1年の時は2組です。同じ組の先(さき)冨美武君とよく遊びました。先君の家の裏山で剣道のまね事をしたり、裾花川に飛び込んで溺れそうになり、先君に助けられたりしました。

 冬は山道に雪が積もるため、学校近くに下宿しました。2年生のクラス替えで5組に。数学の森山茂平先生から「男女共学のクラスでは女性に負けてはならない」と言われ、少し勉強に励んだら、学年で10番以内の成績になりました。

 検定試験では商業簿記2級、珠算実務2級、珠算能力3級を取得。クラブ活動はバドミントン部に入り、練習がきついのと上達の見込みがないので途中で退部。語学クラブは続けました。長商デパートの役員選挙にクラス代表で立候補し、当選しました。

日立の研究所に合格
 担任の風間準造先生にはかわいがってもらい、ご家族と一緒に山やスキーに行きました。長野商業の卒業生はほとんどが就職していました。風間先生は、企業訪問で日立製作所中央研究所に行った時の話をし「大変素晴らしい環境の会社である」と生徒たちに紹介しました。

 東京都国分寺市にあるこの研究所には、長野商業から毎年1人ずつ就職していました。風間先生は受験するよう私に勧め、面接を受けて合格し、就職することになりました。

 私は小学校から高校まで背が一番低かったので、いじめの対象になってもおかしくありません。事実、いじめようとした者がいました。これには直ちに反発し、先生にも訴えました。その結果、いじめられたことはほとんどなかったですね。いじめようとした人は今でも覚えています。

 いじめが社会問題になっていますが、人をいじめてはいけない。一生恨みを買うことになると思っています。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年6月25日号掲載)

=写真=高校時代の級友・先冨美武君(左)と私
 
竹元正美さん