
あざみの歌
横井 弘作詞
八洲秀章作曲
山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲きしあざみの 花ならば
◇
高原では夏の盛りが過ぎようとしているころ、JR中央東線上諏訪駅から路線バスで霧ケ峰方面へ

向かった。
つづら折りの坂道をぐいぐいと上るにつれ、後方に諏訪湖が低く見下ろせる。代わって前方の空が、高く広がっていった。もう遮るものがないほどまで開けると霧ケ峰高原だ。
こんどは、ビーナスラインを走る。緩やかな起伏、カーブをたどり、霧ケ峰の西外れに位置する七島八島の高層湿原、八島ケ原入り口でバスを降りた。もと来た方向へ戻るべく、湿原の中の自然遊歩道を歩くことにする。
ビジターセンターで花の咲き具合などを教わり、出発した。するとすぐ、目の前に大きな碑が立っている。近づけば「あざみの歌」の歌詞が刻んである。
〈山には山の愁いあり...〉。追い掛けるようにメロディーがよみがえってくる。
いい歌だ。あらためてしみじみ思った。人には人、自分には自分。男には男、女には女。大人には大人、子どもには子ども。若者には若者、年寄りには年寄り。それぞれにそれぞれの喜びがあり、悲しみがある。
まして微妙に揺れる心の内をのぞくならば、人は誰しも多かれ少なかれ、言い知れぬ愁い、悲しみをひそかに抱えて生きている。だから互いに優しくもなれるのだ。
高嶺(たかね)の百合(ゆり)の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想(おも)い
作詞者の横井弘は1926(大正15)年10月12日、東京・四谷に生まれた。終戦の年の5月、自宅を空襲で焼失し、兵役から解放されても帰る家がない。隣家を頼ってその出身地、諏訪郡下諏訪町高木に疎開する。

結果から言えば、これが幸いしたともいえなくはない。下諏訪滞在中の約6カ月
間、周辺をよく歩き、書きためた詩の一つ、八島ケ原湿原での「あざみの歌」が、後に大ヒットすることになる。
当時まだ18歳。純粋な思いを清らかに咲くアザミに託した詩心は、戦争ですさんだ民心を潤し、和らげるに十分だった。
いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの道は 涯てなくも
香れよせめて わが胸に
これはもう、いとしい人への恋心というほかない。そのひたむきさが共鳴を誘う。帰りのバスは諏訪湖を眼下に、ひたすら下る。穏やかに広がる夕映えの湖面が目に焼き付いた。
(JASRAC 出1606177―601)
〔高層湿原〕標高の高い高原のくぼ地に水がたまり、育ったミズゴケ類が低い水温、酸性の水質のため腐らず、泥炭層になった湿原。1万年前後の長い年数をかけ、厚い層を形成している。
(2016年6月4日号掲載)
=写真1=歌碑の立つ八島ケ原湿原
=写真2=アザミの花