
詞 華
感動は
人生の窓を
開く
椋 鳩十(むくはとじゅう)
◇
何事か大切な事柄を美しく、巧みに言い表したことば「詞華」にあこがれてきた。とりわけ「これだ!」と、ひざを打つ思いで出合った一つが、童話作家椋鳩十の〈感動は人生の窓を開く〉である。

出身地の喬木村をはじめ下伊那方面には、色紙、掛け軸に1行、2行の短い椋の詩が、数多く残されている。喬木村教育委員会が「ふるさとに残る椋鳩十名言秀句集」をまとめたほどだ。
学校や図書館のある村中心部には「椋文学ふれ愛散策路」が整備されている。要所要所に名言秀句を刻んだ碑も立つ。
力一杯 今を生きる
道は雑草の中にあり
活字の林をさまよい
思考の泉のほとりにたゝずむ
こうした味わい深い言葉に案内され、思いめぐらせつつ歩く。自然は豊か、見晴らしにも恵まれ、気ままに一時を過ごせる小道だ。
1905(明治38)年1月22日、椋は喬木村阿島に生まれた。本名は久保田彦穗。10代の半ば、酪農家の父親が打ち込む狩猟に同行し、南アルプスの山中で木地師など山に生きる人たちや動物の話題に関心を抱く。
やがて鹿児島県に移り住み、「マヤの一生」「大造じいさんとガン」など動物物語の作家として独自の世界を切り開くことになった。同時に飯田中学時代には、通学のために天竜川を渡し舟で行き来するわずかな時間さえ、北原白秋の詩集「思い出」を手放さない。
文学活動の最初に出版したのも詩集であった。詩人として一歩を踏み出している。そんな詩心こそが、多くの人を引きつける詞華の土壌を成したのは言うまでもあるまい。
鹿児島県の南、大隅半島の先端から約60キロの海上に、縄文杉で名高い屋久島がある。椋は30回以上足を運ぶほど気に入り、「片耳の大鹿」「ヤクザル大王」などの代表作に結実させていった。
信州からも新幹線を乗り継ぎ、鹿児島港から高速艇を利用すれば12時間ほどで着く。意外に便がいい。島巡りの合間にタクシーの運転手に尋ねると、南側の海辺にある湯泊集落の「椋鳩十文学碑」に案内してくれた。
湯泊には佐々木吹義という猟師がおり、椋が訪れると珍しい体験談を数々語って聞かせた。それを素材に傑作が生まれたことをたたえる碑だ。大きな石に〈感動は...〉の10文字が、白く浮かび上がっている。椋は「感動ということ」と題した一文でこう記す。

感動は、心を奥底からゆり動かし、心の垢(あか)を洗い流して、感動の方向にむけて、心を奮いたたせる。
碑の前に立ち、ここまで来て良かったと、心底感じたのだった。
〔ペンネーム「椋鳩十」の由来〕山の住民、山窩(さんか)を扱った小説の発表に当たり考案した。木地師の姓に多い小椋から椋。鳴き声をよく聞く山鳩にちなみ鳩十。心機一転の決意を込めた。
(2016年6月18日号掲載)
=写真1=屋久島の椋鳩十文学碑
=写真2=顔をのぞかせた鹿