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08 米国留学 ~国連本部へ通い勉強 国際関係論で修士号~

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 1971(昭和46)年夏、私を含む米国留学の7人はワシントンで諸手続きを済ませ、南イリノイ大学のサマースクールで英語の授業を受けました。

 この間に留学仲間数人とニューオーリンズやケンタッキー州、テネシー州などを回りました。キャンプをし、テントの中でいざ寝ようとした時のこと。ゴソゴソと音がするので仲間がおのでたたくと、何とスカンクでした。強烈な臭気に耐えられず、外で夜を明かしたことがありました。

 サマースクールを終え、秋のセメスター(学期)の開始時にドゥルー大学大学院に入学。ニューヨークの西約43キロのニュージャージー州マディソンに位置し、大学院生用の寮に入りました。冬はスチーム暖房が利きすぎて窓を開ける始末で、エネルギーをぜいたくに使っていましたね。

中古車で大陸横断
 勉強の合間に声楽を習い、近くの教会で合唱団の団員をしばらく続けました。週末には友人らとニューヨークに出掛け、カーネギーホールなどでコンサートやミュージカルを鑑賞しました。

 大学院では国連セメスターの授業をとりました。週2回バスで国連本部に行き、各国の代表から話を聞くなどして勉強しました。このコースには世界中から学生が集まっていました。米国なのにコネティカットとテキサスの学生の英語が異なっていたり、「日本は中国のどこにあるのか」といった質問をしたりする学生もいました。

 国連に何度も足を運んでいるうち、国連本部の掲示板に「車売ります」とあるのを見つけ、中古の車を購入。その前にドライビングスクールに通い、運転免許証を取りました。教習場所は初めから一般道路やスーパーの駐車場でした。

 車は「ダッジ・コロネット440」という大型車。この車を運転してワシントンやノースカロライナ、ナイアガラの滝、夏休みには米国を東から西へ横断しカリフォルニアへ。途中グランドキャニオンやラスベガスに寄り、帰途はワイオミングやシカゴなどを回りました。田舎を走行するとフロントガラスが虫などの衝突ですごく汚れました。自然が豊かである証拠ですね。

 クリスマス休暇などには、米国人の学生たちが自宅に招待してくれました。敷地が広いのにどこの家にもあったのが地下室です。半面、狭い日本の家には地下室がほとんどない。なぜか不思議でしたね。

グロスジン夫妻
 国連関係以外では、国際法など卒業に必要な単位を取得。最後に書く修士論文は「ニクソン・ドクトリンと日本の安全保障」に決め、プリンストン大学の図書館で夜遅くまで執筆作業をしました。ドゥルー大学大学院で親しくなったポール・グロスジン氏が私の手書きの英文をチェックし、ヤスコ夫人がタイプを打ってくれました。

 出来上がった論文を3人の教授が審査して合格。国際関係論の修士号(MA)を取得できました。グロスジン夫妻の献身的な協力のおかげと感謝しています。ご夫妻は、後に私がヒューストンで総領事を務めた時に遊びに来てくれました。

 今から半世紀近く前になりますが、米国留学中に驚いたのは車が大きいのと教会が多いこと。それに人種差別の雰囲気と貧富の格差がみられたことですね。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年7月23日号掲載)

=写真=米国ドゥルー大学大学院を卒業
 
竹元正美さん