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083 フランス地方巡り ルーアン ~ジャンヌ・ダルク火刑の地~

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 「ルーアンよ、あなたが私の終(つい)の棲家(すみか)だったのね。私は正しい王のために死ぬのです。神に栄光あれ」と群集に向かって叫んで絶命した。

 パリからセーヌ川沿いに北西130キロ。ルーアンは1431年、ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた地である。広場の一角には「嘆きのジャンヌ」の像が置かれている。

 フランス東部の小さな村ドムレミイで生まれたジャンヌ・ダルクは、12歳で「神の声」を聞く。祖国を支配するイギリス軍を退治せよとのお告げで、後のフランス王シャルル7世に直訴。フランスを解放した「救国の乙女」とほめそやされた。

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 けれども、味方に裏切られて、異端、魔女のレッテルを貼られて、町の広場に引きずり出された。縛られたまま、火あぶりに―。まだ19歳だった。

 ジャンヌ・ダルクは、フランスでナポレオンと共に大衆的な人気が高い。本名ジャネット、愛称ジャンヌ。ダルク家の4番目の子で、長女である。

 ルーアンはかつて、ノルマンディー公国の首都だった。第2次世界大戦での爆撃や市街戦による破壊で大打撃を受けたが、市民の力で修復され立ち直った。中心街にはノルマンディー地方特有の木組みの家々が残る。

 旧市街への入り口の時計塔をくぐると、右手にタープテントを広げたかのような黒い屋根のジャンヌ・ダルク教会がある。冤罪(えんざい)で彼女が絶命した、まさにその場所である。近代的な造りだが、内陣には16世紀に描かれた13枚のステンドグラスが美しい。

 訪れた日は、ミサを行っていた。敬虔(けいけん)な信者たちが無言で祈りをしていた。小さな声にも、スタッフの女性が「しーっ」と注意を促してきた。有料の英文パンフレットを購入すると、笑顔で対応。冷やかしの観光者のざわめきに「毎日悩まされているの」と明かした。

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 ルーアンの見どころはもう一つ、フランス・ゴシック建築の傑作ルーアン大聖堂だ。印象派の代表的画家、モネは、向かいの部屋を借り切って、大聖堂の影の移ろいを描いた。光によって無限に姿を変える一瞬一瞬を絵の具に託す究極的な試みをした作品だ。モネの代表作で、オルセー美術館などに連作が展示されている。

 前日にオルセー美術館を訪れ、そこに描かれていた実際の舞台を目の前にした。幾度も戦火にさらされながら、修復を重ねて勇姿を見せてくれる大聖堂に、私たちは感激しきりだった。
(2016年7月16日号掲載)

=写真1=ジャンヌ・ダルク教会
=写真2=ルーアンの旧市街
 
ヨーロッパ美の旅