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06 大学時代 ~サークルつくり勉強 4年生で試験に合格~

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 早稲田大学には横浜の叔父の家から通いました。叔父夫婦と娘3人の5人家族に私が加わり、大変お世話になりました。

 東急東横線の白楽駅で乗車。途中乗り継いで高田馬場駅で下車し、早大正門までバスを利用。通学に約1時間20分かかりました。入学した4月初めの2~3週間は学園紛争で授業がなく、家で山岡荘八の「徳川家康」(全26巻)を読みました。

 第2外国語はドイツ語を選びました。18クラス全員が男性で、法学部なので当然のことですが、司法試験を目指す学生が多かったですね。

 そこで外交官を目指す「外交学会」というサークルを新たにつくりました。20人を超す会員が集まって勉強や意見交換などをしましたが、最終的に外交官試験を受けたのは私を含め3人でした。

体も丈夫にして
 当時、外交官試験に早大から合格するのはまれで、3年前に1人、そのまた3年前に1人でした。憲法や国際法など7科目からなる第1次試験と第2次試験があり、1次試験合格者だけが口述試験や集団討論などの2次に進むことができました。

 2年生の夏休み。菅平の学生村で勉強するため、同級生の松本裕弘君と一緒に出掛けました。ここで東大生の鈴木哲(さとる)君(後に安田火災)に出会い、友人として今もお付き合いをしています。学生村での勉強を終えた後、外交学会の仲間と八ケ岳を縦走しました。今でも良い思い出となっています。

 3年生になって試みに受験しましたが、第1次で不合格でした。しかし、これで試験の雰囲気をつかむことができました。

 冬になるとよく風邪をひいていたので、体を丈夫にする目的で秋に新聞配達をしました。朝4時ごろ起きて自転車で配達。40日間続け、その後も早朝のジョギングと体操をしました。おかげで食欲が出て体重が増え、風邪をひかなくなりました。

 4年生の時に再び挑戦して第1次、第2次とも合格。受験に専念するため、大学の図書館や神奈川県立図書館に通いました。その頃は学生運動が大荒れで、大学の図書館の前で連日集会やデモが行われ、時には耳栓をして勉強することもありました。

母、祖母らに感謝
 2次試験の後、名古屋の叔母の家に遊びに行き、長野に戻った時、外務省から人事担当の人がやってきました。近所での評判などを調査して回った後にわが家を訪れ、普通高校でなく商業高校に行った理由などを質問しました。この人物評価も無事に終わり、外交官試験に合格しました。

 大学時代、お盆や正月は長野に帰省することが多かったのですが、ある時、母に「自分はお金持ちになるより立派な人間になる道を進みたい」と話したことがあります。母は、何も言わずに涙を流していたことを覚えています。

 後になって聞いた話ですが、祖母と妹が長野市にある旭山観音の祠(ほこら)に合格祈願をしてくれたそうです。旭山観音へは危険で急な山道を行かなければならないのに。「自分一人の力ではない」―。感謝と感激でいっぱいでした。

 合格後、四谷の日米会話学院に通って英会話を勉強しました。大学では時事英語を教えてくれた北川大憲先生に、公私共にお世話になりました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年7月9日掲載)

=写真=大学2年生の夏に八ケ岳で(右端が私)
 
竹元正美さん