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10 アフリカ課時代 ~所管する国は40近く 独立式典に同行する~

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 安全保障課で約2年間勤務した後、アフリカ課に配属になりました。この課で所管する国はアフリカ大陸北部のイスラム諸国を除く、いわゆるブラックアフリカで、国の数は40近く。これに加えて植民地の独立闘争をしている地域がありました。

 国と首都の名前を覚えるだけでも大変でした。黒河内康課長から、アフリカの地図を自宅の部屋に張って見るよう勧められたほどです。

 アフリカ諸国は英国とフランスの植民地だった所が多く、言語は主に英語とフランス語に分かれていました。このためアフリカ課には英仏語の要員が配属されており、同期の国枝昌樹君と一緒でした。彼とは研修時代の南東アジア第一課でも一緒で、フランスで研修中に知り合ったスイス人女性と結婚しました。

クーデター予想的中
 アフリカ課の仕事はさまざまでした。新国家が独立すれば、国家承認、クーデターで新政府が誕生すれば、政府承認するかどうかを判断する。各国要人を日本に招待。ナイジェリアの石油相が来日した時は、河本敏夫通産相との会談の通訳をしました。

 1976(昭和51)年、ケニア東方のインド洋に浮かぶセーシェルが独立。独立式典の特派大使として派遣された早川崇衆院議員に同行し、セーシェルで数日過ごした後、ケニア、マラウイ、ナイジェリア、フランスを回って帰国しました。

 セーシェルの初代大統領は中国系のマンカム氏、首相はフランス系のルネ氏でした。軍隊がなく、警察力を抑えれば政権奪取が可能だとの私の予想が的中。翌77年、マンカム大統領が外遊中にルネ首相がクーデターを起こし、大統領になりました。

 ケニアではタンザニア国境近くのアンボセリ国立公園で1泊。1列に並んで歩く象の家族、シマウマを食べているライオンなどを見ました。キリマンジャロがきれいに見えて感動的でしたね。

 マラウイは気持ちの良い高原、ナイジェリアは熱気があふれていました。マラリア予防薬の副作用で体を壊す人もいたとか。

 パリではフランス三井物産の鳥取滋治郎社長夫妻のご案内でリドのディナーショーに行きました。この鳥取夫妻の長女が後に高円宮妃になりました。

捕鯨・イルカ漁問題
 アフリカ課の後、経済局漁業室の首席事務官になりました。首席事務官は課長や室長に次ぐ、実質的に事務の総括をするポストです。漁業関係の国際条約との関わりが主な業務で、日本は特に捕鯨、イルカ漁で問題を抱えていました。

 日本の捕鯨は国際捕鯨委員会(IWC)で各国の非難を浴びており、いかに反論するか頭を悩ませました。ロンドンの国際会議で、反捕鯨グループが日本代表団の1人に赤いインクをかける事件も起きました。

 イルカ漁では世界中から抗議文書が送られてきました。マグロについては複数の国際条約があり、その一つの改定交渉でコスタリカに代表団の一員として出席。日本の漁業の実態を知るため、釜石(岩手県)や気仙沼(宮城県)などの漁港を視察しました。

 漁業室での勤務を1年で終了。約5年間を日本国内で過ごし、最初の海外勤務地となる韓国に一等書記官として赴任することになりました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年8月6日号掲載)

=写真=キリマンジャロを背に早川崇衆院議員(左)と
 
竹元正美さん