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12 オーストラリア ~経済担当で鉱山視察 後の首相と意見交換~

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 韓国で2年間の任務を終えた後の赴任先は、オーストラリアの首都キャンベラにある日本大使館でした。1980(昭和55)年の夏にソウルを飛び立ち、途中で東京に立ち寄って、新任地に向かいました。

 人工都市のキャンベラは、大変きれいな街でしたね。一戸建ての家を借り、妻と当時4歳の長女の利恵子、それにお手伝いとして、いとこの山口茂子を加えた4人のオーストラリア暮らしが始まりました。

 家の前と後ろに庭があって芝刈りが必要でした。梅やリンゴやブドウのほか、いろいろな花が咲きました。車がないと生活できないので、日本車を2台購入しました。

太陽光発電が印象に
 大使館では韓国と同じ一等書記官として経済を担当。経済班には外務省のほか通産、大蔵、農水各省と科学技術庁からの出向者がいました。主な仕事は資源エネルギー、マグロ漁業、原子力協定、航空関係の情報収集や交渉など。

 資源エネルギー関係では鉄鉱石、ウラン、石炭などの鉱山を視察しました。後に首相になった野党の影の資源エネルギー大臣キーティング氏などとよく意見交換しました。

 マグロ漁業については、毎年漁業の条件を決めるため外務省、水産庁のほかに、日本(鰹)(かつお)(鮪)(まぐろ)漁業協同組合連合会(日かつ連)の関係者がやってきました。交渉は1カ月ほどの長期にわたり、交渉団はホテルで日本食の自炊をしていました。私はこの会合に出席したり、交渉団のお世話をしたりしました。

 日豪閣僚会議もありました。国土庁長官が訪れた際は通訳をしたほか、参院議長や国会議員など、日本からの来訪者のお世話も結構ありましたね。

 仕事の関係で多くの都市を訪問しました。北部のダーウィンは近くでウラン鉱石が産出されるのに原発がなく、太陽光発電が行われていたのが印象的でした。高層ホテルの壁が光っているのでその理由を聞くと、太陽光パネルとか。ホテルの冷房はこのパネルによる電力で賄われているとのことでした。

 南のタスマニア島にも行きましたが、囚人を収容していた古い監獄がありました。厚い石の壁でできており、とても逃げることはできなかったのではないでしょうか。

 天皇誕生日には、大使公邸でレセプションが行われました。庭に焼き鳥の屋台を作るなどして、地元の政財界や在留邦人の方々をもてなしました。

一部に反日感情も
 正月は公邸の庭で餅つきをしましたが、役割の中にハエ追い係というのがありました。オーストラリアの正月は夏。ハエがとても多かったためです。

 オーストラリア人の対日感情はおおむね良好でしたが、一部に先の戦争による反日感情が残っていましたね。ある日本企業がクイーンズランドで建築中のホテルが爆破される事件がありました。

 家族でメルボルンやシドニーなどへ車で旅行し、ペンギンが海から陸へ帰ってくるのを見物しました。

 長女の利恵子は幼稚園に入り、数カ月でネーティブに近い英語を話すようになりました。外国語教育は早ければ早いほど、苦労しないで身につきます。まず耳からですね。日本の英語教育は目からであり、間違っていると思います。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年8月27日号掲載)

=写真=大使館のゴルフ・コンペで初めて優勝
 
竹元正美さん