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190 山千寺 ~5等身仏像と豪壮な観音堂~

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 「県内最古」とされる仏像が、長野市北部の山あいにあることは、あまり知られていないだろう。三登山(みとやま)山麓の若槻地区吉にある山千(さんせん)寺の「銅造観音菩薩(ぼさつ)立像」である。

 山千寺は、旧北国街道の田子地区から急坂を西へ10分ほど上り、リンゴ園と水田の中に民家が散在している高台にある。とても眺めのいい場所だ。約90基に上る吉古墳群に隣接している。

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 この菩薩像は7世紀後半(白鳳時代)の作、高さ29・7センチの金銅仏。体に比べて顔が大きい5等身で、手足が大きなちょっとユーモラスな姿をしている。

 見慣れている国産の仏像と比べると、衣文(えもん)や装飾が異形のため、「渡来仏ではないか」という評価がもっぱらだった。1937年に国宝に指定され、戦後の見直しで「重要文化財」になった。

 「詳しいことは分からないが、『朝鮮半島から来た仏師が作った仏像』というのが、最近の評価」と、山千寺史跡保存会長の大村道雄さんは話す。畿内で国産の金属を使って鋳造され、東山道をたどって信州にもたらされたのではないかと推測される。

 石段を上ると、石垣の上に、正面4間、側面6間(1間は約1.8メートル)の豪壮な観音堂がせり出している。典型的な懸崖(けんがい)造りで、この辺りでは類を見ない規模だ。その見事さに驚かされる。

 毎年8月の第1日曜日を「観音さま法要」の祭日として、関係者が集まり、菩薩像を公開している。今年も8月7日、近隣から100人近くが訪れ、地域の合唱団が華を添えた。

 保存責任者を務める丸山保重(やすしげ)さんの家に伝わるところなどでは、山千寺の開基は1543(天文12)年。天正年間(1573~92年)に、武田信玄家臣の丸子弥平太直久が観音堂を建てて菩薩像を収めたという。丸山さんは丸子弥平太直久から数えて15代目である。

 現在の観音堂は1821(文政4)年に建立された。伝聞では、丸山家の個人的な財力により、5人の大工が5年がかりで建築。規模と造作から考えると、現在なら1億円単位の費用がかかったのではないだろうか。

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 「旧山千寺観音堂及び境内」は長野市指定記念物になっており、境内には、歴代住職の墓地や戸隠権現社、三登山神社などが並ぶ。観音堂から眼下に、長野市街地の半分が千曲川まで遠望できる。洪水の心配が要らない穏やかな地だ。由緒深い石碑や石のほこらが林立し、一帯は聖地であることが分かる。

 ただ、半端ではない社殿の老朽化に、観音さま法要に来た人たちの間から心配する声が聞こえてきた。
(2016年8月27日号掲載)

=写真1=石垣の上からせり出している観音堂
=写真2=重要文化財の銅造観音菩薩立像
 
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