記事カテゴリ:

043 高遠 ~はじける娘の笑顔かも~

1005-03-01utakikou.jpg
たかとほは
山裾のまち
古きまち
ゆきあふ子等の
うつくしき町

田山花袋

    ◇

 「たかとお」。今は伊那市高遠である。2006(平成18)年に合併するまでは、上伊那郡高遠町だった。
 
1005-03-02utakikou.jpg
 天竜川が南北に貫く伊那谷の北東部に位置する城下町だ。というよりも、春にはピンクのタカトオコヒガンザクラが華やかに彩る桜の名所といった方が、分かりは早い。

 どうしてか、かねがね心引かれてきた。大にぎわいのお花見どきはもちろん、緑の木陰が爽やかな夏、紅葉がしっとり落ち着かせる秋、いてつく空気の引き締まった冬。四季を通じて足を運んだ。

 いずれも天竜川を渡って西側から東、つまり山側へ向かうコースである。今回は初めて、茅野方面から杖突峠(1247メートル)の急坂を上り、かつての杖突街道を北から南へ下ってみた。

 江戸時代には、諏訪盆地の甲州街道と伊那谷の三州街道を結ぶ交通の要路だった。傍らを諏訪市との境、守屋山を源流とする藤沢川が流れていく。

 この川と南アルプス仙丈ケ岳などに発した三峰川が出合う所に、高遠はある。

 桜の古木が風情をつくる城址(じょうし)公園に立ち寄った後、眼下に大きく切れ込んだ藤沢川を渡った。対岸に高台が広がっており、商店街の家並みが続く。

 きれいに整った歩道を歩いた。なまこ壁の前に備えられた導水管から水がほとばしっている。以前にも喉を潤した。脇に立つのが〈たかとほは...〉で始まる田山花袋の歌碑だ。これも以前と変わらない。

 花袋は明治、大正期に活躍し、島崎藤村と並んで自然主義の旗手とされた作家である。
富士見高原に滞在中の1916(大正5)年7月、地元の青年と一緒に入笠山を越え、高遠へ入った。杖突峠よりなお山深いコースだ。
その歌にあるとおり、確かに山の麓の町だ。城下町として栄え、宿場としても繁盛した古き町でもある。

 加えて〈ゆきあふ子等のうつくしき町〉。ここに花袋の感動の核心が宿っている。元気に挨拶を交わす子どもたちの笑顔が、目に浮かんでくる。

 それだけではないだろう。「子等」という際には、「娘たち」という意味が、しばしば込められる。

 続く形容詞「うつくしき」と重ね合わせるならば、二十前後の娘さんたちの明るく、伸びやかな姿も歌の向こうに見える。

田山花袋地図.jpg
 この一首のおかげで高遠は、ぐっと魅力的な町になった。初秋の昼下がり、通りに人影は少ない。子どもにも娘さんにも出会わない。

 それでも名物、高遠饅頭(まんじゅう)の店をのぞいたときだ。やや年かさの女性たちが、にこやかに迎えてくれた。やはり、「うつくしき町」である。

 〔自然主義文学〕社会や人生を理想化せず、ありのまま描こうとした。19世紀後半にフランスで始ま
る。日本では明治30年代、藤村の『破戒』が流れをつくり、花袋らが続いた。

(2013年10月5日号掲載)
=写真1 整った高遠の街並み
=写真2 田山花袋の歌碑
 
愛と感動の信濃路詩紀行