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09 安全保障課時代 ~国会質疑の資料作成 想定問答に苦労する~

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 2年間の米国研修を終え、1973(昭和48)年6月、ハワイ経由でホノルルに1泊して帰国。人事課から安全保障課勤務の辞令をもらいました。この課は日米安保条約に関わる職場で、在日米軍、米国大使館、防衛庁などと頻繁に協議を行っていました。

 仕事は国会質疑に関連する業務が多かったですね。国会開会中、前日の夕方ごろ議員に質問内容を聞き、それに基づいて答弁の資料を作成しました。内容は必要に応じて関係する部局や省庁と協議するため、夜遅くまで仕事をするのが常でした。国会では大河原良雄アメリカ局長(後に山崎敏夫局長)が政府側答弁をすることが多く、私は局長のお供で資料を持って国会に出向いていました。

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基地問題に関わる
 当時、社会党の大出俊、楢崎弥之助両議員を筆頭に野党の論客が鋭い質問をしていました。楢崎議員は質問内容を事前に教えてくれなかったので、質問の前夜は以前の質疑内容も研究するなど、想定問答を作るのに苦労しました。

 米国の原子力潜水艦が横須賀に寄港する時は関係者に事前通報することになっており、私も自宅から通報しました。米軍基地を視察し、横須賀では米国艦船に乗艦。沖縄では各基地をヘリコプターなどで移動しました。

 基地問題では、米軍機の離着陸訓練の騒音問題や米軍による事故などに関して、さまざまな苦情や陳情が局長のところに来ました。同席して記録をとるのも私の仕事でした。

 また、通訳も役目の一つで、総理官邸で外国からの賓客のために開かれた夕食会で何度か通訳しました。田中角栄首相が歓談の時、自分より年上の議員たちを君付けで呼び、東京都知事の美濃部亮吉さんが後ろの方で静かにしていたのが印象に残っています。何かとお世話になった長野一区選出の小坂善太郎議員の姿もありました。

 多忙な毎日でしたが、マージャンやカードのブリッジなどで息抜きをしていましたね。

 港区天現寺にある独身寮で暮らしていましたが、74年5月に田中宏美(当時26歳)と結婚しました。きっかけは安田火災に勤めていた友人の鈴木哲君に誘われたパーティーです。

結婚し2女の父に
 このパーティーは箱根の富士屋ホテルで開かれました。会場のガーデン・ルームの頭文字を取って「GRの会」と呼ばれ、今の婚活パーティーのようなものです。食事の時に隣に座ったのが宏美で、父親の田中(覚)(さとる)は三重県知事を5期務めた後、自民党衆院議員をしていました。

 港区のホテルオークラで挙式。媒酌人は東郷文彦外務次官にお願いし、外遊中の三木武夫環境庁長官から祝電が届きました。新婚旅行は北海道へ。札幌や洞爺湖周辺の観光地を訪ねました。

 新婚生活は北区王子の公務員宿舎でスタートし、正月は和服姿で近くの王子神社に初詣に行きました。安全保障課の仕事は相変わらず忙しく、たいてい夜11時にテレビのニュースを見ながらの食事でしたね。結婚2年後の76年に長女の利恵子、86年に次女紗恵子が誕生しました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年7月30日号掲載)

=写真=沖縄の米軍基地を視察(中央が私)=上。結婚式であいさつ(左から私、妻、母、妻の父)
 
竹元正美さん