
下諏訪は古くから諏訪大社下社のお膝元として、温泉地として、また江戸時代五街道の中山道と甲州街道が合流する宿場町として栄えてきた。
要衝の宿場町を伝える主なスポットは、下社春宮と参道入り口の大灯籠、秋宮を結ぶ1辺1キロ前後の三角形のエリア「三角八丁(ばっちょう)」の中に収まっている。JR中央線下諏訪駅から、徒歩で1日かけて巡るのにちょうどいい。
上州から軽井沢に入った中山道は、岩村田(佐久市)、長久保(長和町)などを経て、和田峠を越えた先が下諏訪。和田峠の標高約1600メートルは中山道で最も高く、駅間も長い難所だった。江戸からの旅人は、諏訪湖と下諏訪の宿場が見えた時にはほっとしたことだろう。

和田峠から下ってきた中山道は、春宮の脇で下諏訪の町に入り、秋宮へ向かう。途中に、江戸時代の商家を保存した「伏見屋邸」がある。くぐり戸を入ると、シルバー人材センターから派遣された嘱託職員が、お茶と手作りのみそ漬けで温かくもてなしてくれた。「御柱祭はにぎやかでしたか」と過去形で聞くと、「秋まであちこちの小宮(地域の小さな神社)で御柱祭がある」と言う。諏訪の御柱祭はまだ終わっていないのだ。
中山道は秋宮の手前で西に折れて塩尻へ向かい、ここから南は甲州街道。分岐点周辺が宿場町と温泉地の中心だ。この辺りには小さな博物館も多い。
町の歴史民俗資料館は、江戸時代の商家の建物。幕末に江戸へ、京から中山道を下った皇女和宮や、水戸天狗(てんぐ)党の浪士と高島藩が戦った「和田嶺(れい)合戦」などの歴史を紹介している。

時計の博物館「儀象堂」では、時計の仕組みや歴史を詳しく学べる。オルゴール記念館「すわのね」では、100年前のアンティークオルゴールなどを聴くことができる。それぞれ地元精密機械メーカーである時計の諏訪精工舎(現セイコーエプソン)、オルゴールの三協精機製作所(現日本電産サンキョー)の技術の高さも実感できる。
下諏訪には、歌人島木赤彦(1876~1926年)の自宅があった。教員などの傍ら中央歌壇で活躍し、「アララギ」の中心を担った。足跡を諏訪湖畔に立つ諏訪湖博物館・赤彦記念館で紹介している。
宿場町エリアには、赤彦に影響を受けた歌人今井邦子(1890~1948年)の育った家もあり、今は文学館になっている。この地で新しい文学に情熱を燃やした歌人たちに思いをはせた。
(竹内大介)
(2016年8月6日号掲載)
=写真=風情のある温泉旅館が並ぶ宿場町(上)/古い塔時計がシンボルの「儀象堂」(下)