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116 佐藤春夫 ~佐久の自然と人情を優しく~

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 深山少女(みやまおとめ)を歌へる
      佐藤春夫
源とほくたづね来て
千曲の川の川上に
深山少女の眉目(みめ)すずし

もと藤原の裔(すえ)とかや
都をとほく落人の
世を侘(わ)び住みの山の子よ

馬の口取り世を渡る
王朝びとのおもかげは
またなかなかにあはれなり

    ◇

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 冒頭8文字のタイトルに加え、「長野県南佐久郡川上村に遊びて行きずりに見たる子を」と、添え書きが付いている。千曲川源流の村を訪ねた折、たまたま見掛けた少女を詠んだ―。詩の成立したいきさつをこう説明する。

 それにしてもなんと優美、優雅な言葉の使い方だろうか。俗に言えば「山の女の子」とでもなるところを、がらり「深山少女」の美称に言い換えてみせる。この一言で一編の詩のイメージが整えられた。ぐっと魅力が増した。

 そこから詩人の想像力がどんどん膨らんでいく。元をたどれば京の都を落ち延びた平安貴族の子孫。そんな面影の薫り出る情緒の深さをたたえる。そしてさらに、こう展開する。

駒のかたへに少女子(おとめご)が
一枝を採りてかざしたる
片山みちの忍冬花(すいかずら)

人目な羞(は)ぢそためらはで
花をかざれる汝(な)が影は
淀(よど)みに臨みうつせかし

 馬の傍らでスイカズラの白い花を髪にさした娘さん、恥ずかしがらないであなたの姿を川の水に映してごらん。きっと、すてきな少女に見えますよ。

 佐藤春夫といえば〈さんま、さんま/さんま苦いか塩(しょ)つぱいか〉の名句を織り込んだ詩「秋刀魚(さんま)の歌」が、広く知られる。小説家谷崎潤一郎夫人千代子との恋愛関係が行き詰まった状態を嘆く失恋の歌だ。

 1892(明治25)年4月9日、和歌山県新宮町に生まれた大正・昭和期の詩人、小説家。18歳で上京し、与謝野鉄幹や永井荷風に師事。古典的な格調、幻想的な作風で個性豊かな境地を切り開いた。

 終戦間近の昭和20年4月、今の佐久市、当時の北佐久郡平根村横根に、戦火を逃れて疎開する。そのまま6年6カ月とどまり、詩集「佐久の草笛」など多くの作品を残した。

 現在の川上村をはじめ野辺山高原は、野菜の産地として大都市に直結している。詩碑を探して千曲川沿いをさかのぼった時も、行き交う大型トラックが絶えない。

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 碑は、役場のある村中心部から7キロほど上流だった。甲武信ヶ岳(2475メートル)に発した千曲川が人里にまで下り、やや流れを緩くした秋山集落である。日本海まで総延長367キロに及ぶ大河の源流だ。

 詩碑の立つ神社参道脇には、ナデシコ、ワレモコウなど秋の草花が揺れている。深山少女が現れ出たとしても多分驚かなかった。

〔佐藤と谷崎〕谷崎の支援もあり文壇に登場した佐藤は、谷崎との夫婦仲に悩む千代子夫人に同情、恋に陥る。一度は結婚まで認めた谷崎の急変で、実を結ぶまで6年を要した。
(2016年9月16日号掲載)

=写真1=「深山少女」の詩碑
=写真2=川上村秋山の集落

 
愛と感動の信濃路詩紀行